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2018年 清明祭 古いイタヤカエデおよび移住した先祖の御霊への奉告文

西暦二〇一八年、戊戌の年、四月の五日。清明節にあたり、天地は晴れ渡り、雲は軽やかで、風はやわらかく吹きわたる。われら洪洞の大槐樹の子孫たちは、謹んで三牲五穀を供え、生花と雅楽を添えて、移住した先祖を厳粛に祭る。鐘鼓の和やかな響きとともに、過去を振り返りつつ現在を大切にし、先人の志を称え、淮湘の地が末永く繁栄することを祈る。銘にはこう記されている――「巍巍たる我らの先祖、その徳はいつまでも救いをもたらす。いかに雄々しき我らの先人よ、その長歌は心さえも動かす。元末、九省にわたり戦乱が絶えず、地平線の彼方に煙と炎が立ち昇り、天災は度重なるたびに人々を苦しめた。ただ山西南部の田畑のみが天候に恵まれ、作物は豊かに実り、民は安寧と繁栄のうちに暮らしていた。洪武の黎明、戦禍の惨状もようやく収まりかけたころ、朝廷より荒廃した土地の開墾と移住を命ずる詔が下された。大槐樹の下に数百万の人々が集い、万里の旅路へと送り出された。故郷を離れた者は、あるいは田を耕し……」

2017年 清明節 古い槐の木と先祖代々の入植者への追悼辞

西暦二〇一七年、丁酉の年、四月の四日。清明節にあたり、紫荊の木々が集い、吉兆は遠く広がり、天地の明るき下に、皆この太平の世を共に享けたり。われら、洪洞の大槐樹の子孫たちは、三献五穀の礼を捧げ、生花と雅楽を伴い、古よりその尊い樹の下から移住した先祖の御霊に対し、最も誠実にして敬虔なる奉告をささぐ。銘には曰く――太行山の右、黄河の東に、肥沃の地・晋南あり。楊・趙の古都にして、老いてもなお威容を保つ大槐樹は、城の象徴たる特異な景観をなし、こぶ立ちたる根と繁茂する枝葉は、幾町もの陽光を覆う。六十歳を十巡すれども、幾多の変遷を看過せざりき。元末の戦乱は計り知れぬ苦難を招き、中原は焦土と化し、人の命はほとんど絶え果てた。山西の辺鄙なる一角、まさに桃源郷のごとき地、山川に囲まれて、世とは隔たる秘境がひそやかに存在せり。洪武・永楽の両帝の治世に至り、人々は集められ、再定住を遂げた。故郷の土を離れ、別れの寒さに白鷺は悲しみの鳴き声を上げたり。大槐樹は厳粛に立っていた……

2016年 清明節 祖先の槐樹開拓者を祀る追悼演説

西暦二〇一六年、丙申の年、春の中頃、清明の季節を迎えるにあたり、我らは古木の槐の子孫にして、移民の子孫たる者として、四方よりお集まりくださった尊い御来賓の皆様とともに、心を込めて、豪華な佳肴と鐘鼓の雅なる儀礼を奉げ、汾河のほとりに恭しく立ちて、古き大槐の陰のもとで移住した先祖たちに、深く敬意を表す次第であります。 銘文にはこう記されています―― 「壮麗なる中国、山川万里に亘り、巍巍たる祖の槐、四方に吉祥の恵みを垂れ給う。広く永く、冀州の境にあり、洪崖の断崖には、古の洞窟に鳳が宿りし跡あらわなり。 明の初め、皇位の創始にあたり、人々は災禍を避けて、荒涼たる田畑と寂寥たる倉庫を後にし、新たな移住の政策、雷霆のごとき決然たる措置が敷かれた。晋地の肥沃なる土地に誘われ、移民たちは遥か遠き海辺へと旅立った。槐という絆により、その足跡は広く遠く、天地の四隅にまで広がっていった。 刻々と吹き荒れる北風と容赦なく降り注ぐ雨に耐えつつ、故郷と村々を後にして、山嶺と渓谷を越え、大海を航海し、雲南・貴州・寧夏へと至ったのである。」

2015年 清明節 祖先の槐樹開拓者を祀る追悼演説

西暦二〇一五年、四月の第五日、乙未の年二月にあたり、清明の季節を迎えて、われら古なる槐の子孫にして、移住者の子たちは、四方よりお集まりくださった尊い御来賓とともに、心を込めて敬虔の念を捧げ、汾水のほとりにこの盛大な祭祀を厳粛に奉納する。時節の至高の佳肴と、響き渡る鐘鼓の雅楽に伴う荘厳なる儀式をもって、古の偉大なる槐の木から追いやられた先祖たちに、深く礼拝をささげる。 碑文にはこう記されている――広大なる山河は果てしなく連なり、その峰々は霍山へと聳え立つ。威風凛々たる祖霊の槐は、天下の隅々にまで恵みを垂れる。無垠の冀州の地に、楊公の聖なる故郷あり。 明の洪武初年にさかのぼる。国はまだ創建され、民は荒廃し、田畑は穀物に乏しく、耕作もままならぬ状態であった。天命により、雷のごとく迅速にして断固たる措置として、大規模な移住が命じられた。晋の肥沃な大地は、移住者たちの第一の定住地となった。槐という縁によって、移住者は広く各地へと散りゆき、天下のあらゆる隅々にまで根を張った。激しい風雨に耐え、茫々たる荒野のただ中にあっても、我らの祖先は苦難に耐え抜いた――その気概はいかに雄々しく、その歌は涙を誘うほどであった。茨と柴を切り開き、道を拓きながら……

2014年 清明節 祖先の槐樹開拓者を祀る追悼式辞

西暦二〇一四年、木羊の年、四月の第五日。清明の季節を迎えるにあたり、われら古の槐樹の子孫にして、移住の民の子たちは、四方よりお招きした尊い賓客とともに、心からの敬虔な念を捧げて、汾水のほとりにこの盛大な祭儀を厳粛に奉る。時節の至高の佳肴と、鐘鼓の和らかな響きをもって、われらは先祖――あの古の大槐樹の陰のもとで、壮麗なる大移動に身を投じた人々――に深く礼を尽くす。 碑文にはこう記されている――中国の大地は広大にして、川山を越え一万里にわたる。雄々しく聳える古の槐樹は、その影が八方に庇い給う。 明朝の草創期、皇位が初めて定められたとき、中原は千里にわたり荒涼として、大地は白骨の海となり、人の声はとうに絶えていた。万物は廃墟と化し、新たな歴史の夜明けを待ち望んでいた。しかるに天下を見渡せば、ただ晋のみが肥沃にして繁栄していた。ここに断固たる勅命により、一大遷徙の命が下され、人々は槐樹の下に集い、その旅は果てしなく遠くへと続いた。いかに偉丈夫なる我らの先祖ぞ――歌い、涙を流すに足る者であるか。艱難辛苦と不屈の perseverance をもって、彼らは茨と棘の道を切り開き、胸は悲しみに貫かれながらも、決して折れることなく、志を貫いてきたのである。