詩と歌詞
大きな槐の木に寄せて、洛律体の七言絶句三首(地元の住人作) 魯福申(守天) 楊家の里――そこにわが家はあり、先祖はかつて遥か遠く、地平線の彼方へと旅立った。大きな槐の木のそばには今も石碑がたたずみ、その名高い地は広く知られ、語り継がれること欠かない。古来の移住の物語はなおも人々の口にのぼり、楊家の里にこそ、わが家はいまも残る。古木は優雅に揺れ、その生命力はいささかも衰えず、この地を訪れる人はしばしば馬車を停め、足を留める。山の懐から水辺へと移って以来、時の流れのなかで六百年の歳月が過ぎ去った。朽ちることを許さぬ槐の幹は、われらの眼前にきわだち、楊家の里にこそ、わが家はあり。
山西省の大きなイタヤカエデの史跡:王景湖作「満江紅」(古黄) 紅済川のほとり、古城の下には翡翠のような松の群落が広がる。かつて盤庚の三度にわたる詔勅の下、牛車が一斉に進みゆく日々を思い出す。故郷の地から田畑と里を惜しみつつ別れ、異国の岸辺で再び一族の絆を紡ぎ直した。その高くそびえる緑の天蓋の下で、旅人は真の自由と安らぎを見いだす。 汾水のほとりでは荒波が打ち寄せ、明・清の時代を経ても、流罪の民は今やほとんど残っていない。嘆かわしいことよ、たとえ華安という大国にあっても、いまや伝説だけが生きているのだ。河は枝葉を切り落としてしまったとはいえ、その誇り高い姿だけでも、戦乱の侵入を防ぐのに十分である。この木はひとつの記念碑であり、その優美さと恩寵は甘い茨のそれすらも凌駕する――ただの松でも檜でもない。
洪洞の偉大なる槐樹に捧ぐ——韓非章作「満江紅」(観桃) 洪洞の城壁のほとりに、古木は今もなおその面影を留めている。伝えられるところでは、明の皇帝が詔を発し、大移住が始まったとき、松や柏は遠く離れた墓所へと別れを告げたという。いばらの茂みのなかで新たな田畑が切り開かれ、子孫たちへの切々たる説諭とともに、故郷を決して忘れまいとの誓いが立てられたのだ。 辛亥革命の年に、武器を取って立ち上がった人々は、幽燕の地からやって来た。木陰のもとで素朴な言葉を交わすのはなんと喜ばしいことか、武人の気風はすっかり消え去った。たとえ樹冠が薄くなり、枝葉がもはや十分に覆い隠さなくとも、胡椒のような実を結ぶ子孫はなお根にしっかりとしがみついている。ゆえに、詩や散文は厳粛に不朽の石に刻まれ、ここを精神の奇跡の地として標し示すのである。
洪洞の偉大なる槐樹に捧ぐ——王景崇作「満江紅」(顧飛) 古木はねじれ、絡み合い、その陰影が深く広がっていたあの日々を今も思い起こす。晋の諸侯の時代に刻まれた桐の板のごとく、汾河の曲がりくねる岸辺には、なおも懐かしき遺風が漂う。神聖なる根はすぐそばにあり、明の初期にさかのぼれば、石碑には幹道を定めての大移住の事績が記されている。 先祖の徳をしのび、故郷の県を慕い、郷里とその人々を敬い、最も荒々しい魂までも鎮めつつ――辛亥の年が訪れると、戦乱の影は静かに消え去った。子孫の慈愛に恵まれ、その恩沢を皆が感じ、焦遼の詩は代々にわたり響き渡る。枯れた老樹に心を動かされた于蘭成でさえ、ただ空虚な郷愁の中に置き去りにされ、やむなく嘆息するばかりであった。
荊君児は、大槐樹を題材に一首の詩を詠じ、随って「水調歌頭」の調で一編の詞を筆した。
荊君児は、老槐樹を題材に一首を詠み、さらに同郷の郭玉珍に宛てて「水調歌頭」の調で即興的に詞を一編寄せた――その老槐樹はどこにそびえ立つのか。村には小川がくねりと流れ、皆この地こそが移住した人々の故里であると口々に語る。しかし、いったい何年にこの地へと移り住んだのだろうか。車を停めて問うてみたいものだが、時の流れと世代の浮き沈みのうちに、古の物語はやがて色あせ、昔の伝承も今や失われてしまったのではないかと恐れる。夕陽と西風のただ中に、我が故郷の山々を歌おう。小さな亭に憩い、高く聳える楼に登って、汾河の渓谷を眺める。過ぎし日々を思い起こせば、海が桑田へと変わりゆくまで、世は幾度となく変転を遂げてきたではないか。人はさまよい、漂い、木々は芽吹き、枯れ、伐られ、すべては大いなる変化の流れに従う。それでもなお、この地の民は繁栄し、その子孫は世界の果てまで広く広がってゆくことを願う。
