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古の大きな槐を過ぎて作られた四首の律詩

2018-01-30


古なる大槐樹の址に作る四首の律詩(同郷人の作)――段伯坤(連芳) 一、この堂々たる古槐は、いつからここに立っているのか。 我は思い起こす、人々がまさにこの地より移り住んだ日々を。 あるいは江東にあって、夕暮れには雲も日も薄らぎゆくとき、 春の渭北の木々と、同じ親しみを覚えよう。 家を去った者の跡は、すでに遠く霞み消え、 道端の烏の啼き声は、むなしく響き渡るばかり。 散りては遠くに赴き、新たな家を求め、 今や瓜の蔓のごとく、子孫は絶えることなく繁栄する。 二、日没のころ、旅は旧城塁の影のもとに立ち止まる。 古城の壁はなお翠の霧に包まれてそびえ、 汾水は西へと流れ、常に広く深く、 火山は北に聳え、威厳高く雄大なり。 木は幾年にもわたり姿を変えず屹立すれども、 各地に住む人々は、もうほとんど去り果てた。 まことに我が故郷は、福ある土地といえよう。 やがて客人たちも訪れ、喜びは帰郷の如く甘美なるべし。 三、今日、道端に古槐の影が過ぎゆくとき、 何ゆえ多くの旅人は感慨に胸を打つのだろうか。 その濃い陰はなお厚く広がりぬ、 されど、遠くに流浪した者たちの悲しみは、いかに辛いことか。 思いに囚われた客は、なお北方の里を慕い、 家への想いは……

古の大きな槐を過ぎて作られた四首の律詩

(同郷人)段伯坤(連芳)

まず

古のイナゴは、いつからこの地で高く誇らしげに佇んでいるのだろう。人々が初めてこの地へと移り住んだ頃を思い出す。あるいは、夕暮れの江東にたなびく雲か、渭水のほとりに芽吹く春の木々か――いずれも、私の中にひとつの共通する感慨を呼び起こす。

旅人の足音はとっくに遠く霞む中に消え、道端の烏の鳴き声だけが虚しく響く。あちこちに散りゆく私たちが新たな家を求め、今や瓜の蔓のごとく、子孫は果てしなく連綿と繁栄している。

二つ目

夕陽の輝きに包まれて、旅を続ける我が馬はひととき立ち止まる。古の城壁はなおも緑の丘を抱きしめている。汾河は西へと流れ、常に広く深く、一方で霍山は北にそびえ、威厳をたたえている。

幾年月を経ても、木々は昔のままに立ち並び、しかし至る所で人々はもはや昔日の面影を失っている。これこそ、わが故郷が真に幸福の地と称されるにふさわしいゆえんである――やがて客人たちが訪れ、まるで自宅にいるかのように喜び合うのを、私はまもなく目にするであろう。

第三に

旅人はなぜしばしばため息をつくのだろう。道端には今もなお、古木のイナゴノキが立っている。その濃い木陰は変わらず残っているのに、故郷を追われて遠くへさまよい歩く人々の悲しみは、どれほど深いことだろうか。

客人として、私の長い愁いは北の辺境へと戻り、故郷の夢の中で、再び南の国へと旅立つ。水の源も木の根も――いつまでも私の胸を揺り動かす。遠くとも近くとも、皆が同じように、あの古き白鷺の巣への懐かしさを抱いている。

その四番目

遠くの峠や川が旅人の道を延びさせ、ここでは旅人は故郷へと帰ることを喜ぶ。雪が降るときには『采薇』の詩を詠み、柳がそよぐときには『長墳』の歌を共に歌う。

高くそびえる木々は、その根を土深く張り巡らせて、古き故郷を慈しみ育んでいる。その切なる思いと変わらぬ愛は、甘い桑の実と同じく、心から大切にされている。移住した人々の過去はやがて記憶の彼方に消え去ったが、ただ一本の古老の槐だけが、夕陽に向き合い、なおも佇んでいる。

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洪通の大イチョウ