杜甫が晁府を送るにあたって用いた韻に刻まれた、老槐樹の古跡に
2018-01-30
古跡・大槐樹に刻す 杜甫の『晁府に別る』の韻に寄せて (同里人作) 魏君(潞川より):水辺に孤村あり、数戸がここにひっそりと宿る。村の木々は青々として陰鬱に立ち、霧と霞にまつろうかのようだ。雲の間に石塔は風鈴のごとくささやき、伝わるところによれば、ここには老いさらばえた槐の大樹があるという。太唐の古地にはかつて民が繁栄し、日々手にした胡椒の実を積み重ねたものである。時にこの鄙なる家々は辺境の端にあり、星をめぐる消息は疾く駆け巡り、旅人に道を急がせた。明の時代には相次いで人民の移住を命ずる詔勅が下され、その理由は記録と貢納のうちに明らかにされている。槐の蔭のもとでは幾多の世の移り変わりを経て別れが交わされ、古刹は今や荒涼として草露にまみえる。景君は官帽を懸けて職を去り、亭を立てて碑を建じ、雑草と蔓をことごとく払った。遠くから眺めれば、遺構は二世のあゆみを物語る。樹はすでに尽きても、その記憶は文字の中に生き続ける。もし旅する者、あるいは尹(元府の大臣)、王(名宰相)、李(天賦の言官)――三人とも生まれは洪洞に由来する――に邂逅し、かつての事績を知るならば、いったいどのような感慨を抱くだろうか。
杜甫の『晁補之に別る』の韻に寄せて、大槐樹の古跡に刻す
(地元住民)ウェイ・ジュン(ルンチュアン)
水辺には、幾つかの家が点在する寂びた村があり、緑豊かで濃密な村の木々は、まるで霧に包まれているかのようだ。雲の間からは、石造りの塔が風鈴のように澄んだ音を響かせ、伝説によれば、ここには一本の雄大な槐の木がそびえ立っているという。
古の陶唐の地には、民はいよいよ繁栄し、朝夕にわたり胡椒草が handful ずつ摘み取られる。ときには戸籍が辺境を告げ、星に照らされた伝令が旅人たちを急ぎ足で送り出す。
かつての明王朝において、官吏たちが民の移転を議論した際、その理由は官文書および史書によって明らかにされている。淮陰にて、幾多の世の変遷のうちに別れを告げた。古寺は荒涼として、境内は草に覆われ、露に濡れている。
景俊爾と余は、官帽を脱ぎ捨てて亭を建て、碑を立て、荒れ果てた田畑を切り開いた。二世を隔ててかすかに見えていた遺跡は、今や名のみとなり、木々はひとつも残っていないが、その記憶は文字の中に生き続けている。
もし旅人がたまたま尹(袁府の大臣)、王(魏仁の宰相)、あるいは李(太学の学者)に出会ったとしても、この三人の高官はいずれももともと洪洞の出身であると、「先賢伝略」には記されている。
これを見たとき、人はどんな気持ちになるだろうか。
キーワード:
洪通の大イチョウ
お問い合わせはお電話でお気軽にどうぞ。
