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夏侯という姓

2021-05-26


その系譜は東楼公に遡り、始祖は夏侯佗である。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県などに起源を有する夏侯氏一族が、洪洞の大槐樹の下で皇帝の勅命により一斉に他地域へ移住させられた。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・山西など各地に広く分布した。なお、夏侯姓に関する最も古い記録は、唐代の著作『元和姓纂』に見られる。
【姓の由来】この姓は、姒氏に由来する。唐書の「宰相世系表」によれば、周代において、大禹の末裔である東楼公が斉侯として封ぜられ、その領地は現在の河南省杞県にあたった。紀元前445年、斉の簡公の代に至り、斉国は楚によって滅ぼされた。簡公の弟・託は魯へと逃れ、魯の悼公は彼を大禹の後裔と認め、采邑を賜い、侯の爵位を授けたことから、夏侯という姓が生まれた。その後、その子孫は夏侯を複姓として用いるようになった。
【氏族の起源】夏侯姓の主要な出自は、譙郡と魯国である。 譙郡:東漢の建安年間(西暦196年~219年)に、沛郡の一部が分割されて譙郡が設置され、その治所は譙県(現在の安徽省亳州市亳州区)に置かれた。この地域は、おおよそ現在の安徽省と河南省の境に相当する。
【氏族館】夏侯姓の主要な氏族館は、汝陰館である。汝陰館:西漢時代、夏侯嬰は幼い頃から漢高祖と親しく、高祖が沛で挙兵した際には、太僕丞に任じられた。その後、高祖とともに項羽征討に従軍し、蜀に入り、三秦を平定して卓越した功績を挙げた。これにより、汝陰侯に封ぜられた。ゆえに、夏侯氏は「汝陰館」と称されるのである。
【家門・氏族の対句】夏侯氏の代表的な対句は次のとおりである。「蜀に入りて秦を安んじ、滕公は君を輔けたり」(夏侯嬰);「書を受けて礼を説き、経典に通じた学者なり」(夏侯勝)。「身は断たれても全き貞節、その徳ある娘ゆえに名高し」(夏侯一族);「帷の後で音楽を奏す、まさに『妓女の衣』との雅称を得たり」(夏侯)。
【著名人物】『中国人名大辞典』には夏侯姓の記載が29件あり、『中国歴代人名大辞典』には11件が収められている。夏侯姓を称した歴史上の人物としては、漢代に魯の出身で経学の大家として名高い夏侯始昌がおり、また漢初には劉邦の将軍として汝陰侯に封ぜられた夏侯嬰がいる。三国時代には、曹魏の重鎮として西征将軍に任じられた夏侯淵が知られ、同じく三国の魏には譙郡出身の夏侯氏も見られる。晋代には文人の夏侯湛、宋代には賦の詩人である夏侯嘉珍、そして元代には華亭の出身である夏侯尚宣がそれぞれ名を残している。
【人口】第四回全国人口センサスの結果によると、山西省には姓が夏侯である者が11人いる。
【祭壇厨】大イチョウの下にある宗祠の第10号祭壇厨には、夏侯氏の先祖牌が祀られている。

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洪通の大イチョウ