姓はフー
2018-10-25
始祖は史福である。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県などに起源を有する史氏の先祖たちが、洪洞の大槐樹の下で皇帝の勅命により一斉に他地域へ移住させられた。清代末期には、その子孫は河南省・山東省・河北省・北京市・天津市・陝西省・甘粛省・安徽省・江蘇省・湖北省・湖南省・遼寧省・黒竜江省・山西省など、数多くの省に広がった。史姓に関する最も古い記録は、明代の『諸姓総譜』に見られる。
【姓の由来】この姓は、史復の子孫に由来する。『元和姓纂』および『万姓統譜』によれば、春秋時代、鄭国の官吏である史復の子孫が、先祖の名に含まれる「復」の字を取って姓としたと伝えられている。
【著名人物】『中国姓氏大辞典』には傅姓の項目が一つ収められており、『中国歴代人名大辞典』にも同様に一項目が掲載されている。傅姓を称した歴史上の人物としては、明代にあっては永楽年間に御史として仕え、のちに陝西副都御史に昇進した傅季がおり、彼は大城の出身であった。
【人口】第四回全国人口調査によると、山西省には傅姓の人口が4,206人おり、そのうち臨汾市に1,070人、洪洞県に230人が居住している。
【祭壇厨子】大槐樹の下にある宗祠の第5号祭壇厨子には、傅氏の先祖牌が祀られている。
【移住】傅氏の一派は、洪洞の大槐樹に由来し、その始祖が明の初期に山西省洪洞から修武県福屯村へと移住した。今日に至るまで、24代にわたり家系が脈々と受け継がれ、50余戸、371名を超える人々を擁している。また、別の一支族も、同じく山西省洪洞から濮陽県王称塗郭郷石磨頭村へ、やはり明の初期に移住した。さらに第三の一支族は、明の洪武年間に山西省洪洞から豊鎮県新営子村へと移った。また、第四の一支族は、永楽二年に山西省洪洞から新河県の薬家寨へと転居した。さらに第五の一支族は、永楽年間に新河県平楼村に定住した。また第六の一支族は、成化十一年に山西省洪洞から新河県城内の趙村裏通りへと移り、以後23代にわたり家系が伝えられている。最後に、第七の一支族は、成化年間に山西省洪洞から新河県呂家荘村へと移住した。
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洪通の大イチョウ
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