ふるさと文化
林という姓
2018-05-10
この家系は漢氏に由来し、林康を始祖とする。現代中国においては、三番目に人口の多い姓である。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県などに起源をもつ林氏一族が、洪洞の「大槐樹」の地において皇帝の勅命により他地域へ大規模に移住させられた。清代末期には、その子孫は河南省・山東省・河北省・北京市・陝西省・甘粛省・安徽省・江蘇省・湖北省・湖南省・内モンゴル自治区・遼寧省・黒竜江省・山西省など、広く各省に分布するに至った。
林姓に関する最も古い記録は、唐代の『元和姓纂』に見られる。
【姓の由来】この姓は、紀氏に由来する。『通志・氏族略』『商右録』『古今姓氏考』などによれば、春秋時代、晋の武公の王族である公子万が、中山国征伐に従軍した。公子万は中山国の君主を捕らえ、その勇功により韓原に封ぜられ、封地の名である「韓」をもって姓とした。韓万の子・韓厥は景公の下で司馬を務め、晋と楚との間に起こった邲の戦いでは楚軍を圧倒し、さらに晋と斉との争いにおける安の戦いにおいても斉軍を撃破した。これらの功績により、彼は晋国の政事に至高の権限を行使するに至った。戦国時代に入ると、韓氏の勢力は衰えた。韓厥の曾孫に当たる韓康は趙国へ赴き、高位の官職に就いて林という封地を与えられた。林の旧址は現在の山西省柳林県の境域にあたり、これに因んで韓康は封地の名を姓として取り、姓を「韓」から「林」へ改め、林康と称されるようになった。以後、その子孫は皆、林を姓とした。 【氏族の本拠地】林姓に関連する主要な氏族の本拠地は、中山郡および華陰郡である。中山郡については、戦国時代には中山国として存在し、後に趙国に併合された。秦代には鉅鹿郡の一部となった。漢初(紀元前206年)には中山郡が設置され、ほぼ現在の河北省北部に相当する地域を管轄し、その治所は盧奴(現・河北省正定県)に置かれた。
【氏族館】林姓の主たる氏族館は、万碧館である。 万碧館――戦国時代、趙国は「和氏の璧」を手に入れた。秦は強大であり、この玉璧と十五の城を交換すると申し出て、趙を欺いた。当時、趙は苦境に立たされていた。玉を差し出せば秦が城を返さないおそれがあり、受け渡しを拒めば秦が兵を派遣して奪いに来る恐れがあったからである。そこで趙は林向如を遣わし、玉を秦へ届けさせた。 秦王は玉を受け取ると、約束した城のことは一切触れず、ただ臣下らに玉を手渡して見せただけであった。林向如は秦王にこう言った。「陛下は玉の美しさを称えられますが、実はその玉には欠点があることをご存じでないのです。」秦王は玉を向如に返し、その欠点を指摘するよう求めた。向如は玉を抱きしめ、柱のそばに立ちながらこう宣言した。「趙の王は私を遣わし、この玉を献上させました。私は陛下への敬意を表すため、三日間の断食と潔斎を行ってまいりました。ところが今、陛下は玉を手にしながら、ただ周囲に見せるだけで、まことに厳粛な態度とは言えません。もし本当にこれを欲されるのなら、陛下もまた三日間の断食と潔斎を行い、その後で正式な交換に臨まれるべきです。そうでなければ、私はこの玉を柱に叩き割り、その際に命を落とす所存でございます。」 しぶしぶながらも、秦王は林向如に玉を宿へ持ち帰らせた。宿に戻った向如は、密使を差し向け、隠れた経路を通じて玉を趙へ送り返させた。三日後、彼は秦の朝廷に赴き、正式な引き渡しを行った。秦王に向かって向如はこう述べた。「承知いたしました。陛下には私たちに城を返すおつもりがないようです。ゆえに、すでに人を遣わして玉を趙へ戻しております。もし私を殺したいのであれば、どうぞおやりください。」 林向如を処刑すれば両国の関係を損なうだけだと判断した秦王は、礼を尽くして向如を趙へ送り返した。
【堂聯】林姓にちなむ代表的な対句は、次のとおりである。「兵を駐屯せしめて勇名を馳す」(林良)、「玉を無傷にして返すに忠節を示す」(林向如)。「玉を守りて大功を成す」(林向如)、「印を分かちて功績を顕す」(林仁吉)。
【著名人物】『中国姓氏大辞典』には林姓の事例が八件収められ、『中国歴代人名大辞典』には九件が記されている。歴史上の林姓の人物としては、戦国時代に趙の重臣として活躍した林向如、隋代に将軍の位にあった謝出身の林梁、宋代に朝廷の侍郎を務めた林敏修、さらに明代には磁州の学者である林從山のほか、潁天府知府の林義全や工部侍郎の林芳などが挙げられる。
【人口】第四回全国人口調査によると、山西省には林姓の人口が12,478人おり、そのうち臨汾市に3,721人、洪洞県に1,824人が居住している。
【祭壇櫃】林氏の先祖位牌は、大槐樹の下にある宗祠の第3号祭壇櫃に祀られている。
【輩行名】共和制時代の『林氏族譜』の未完本によれば、安徽省蕪湖の林氏支派における輩行名の序列は、「元・世・康・仲・旭;卓・友・時・洪・明」となる。
【移住】洪洞の大きな槐樹に由来する林氏の一派の始祖は、明初期に運城市垣曲県大南郷臨村へ移住した。また、垣曲県の別の林氏の一派の始祖も、やはり明初期に山西省洪洞から垣曲県張魯集郷臨屯村へと移り住んだ。一方、濮陽の林氏については、その始祖が明の洪武年間に山西省洪洞から濮陽県八公橋鎮林寨村へと移った。最後に、寧河の林氏の始祖は、明の永楽年間、山西省平陽府洪洞県の大槐樹下の旧鶴巣より寧河県趙本荘村へと移住した。
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洪通の大イチョウ
