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張金堂氏による洪洞の大槐樹の碑文の披露に応えて作られた一首

2018-01-30


張金堂氏は、洪洞の大槐樹譜の紹介に応じて、次のような詩を詠じた。 (萊陽 王英楠) 昔より、長老たちが往時の物語を語り伝えるのを耳にした。 齊・魯・燕・兎の民は、その半数が晋の中央から追われて移り住んだという。 代々が遠くなり、時がすべての痕跡を消し去るにつれ、家系もますます曖昧となり、辿るのが難しくなった。 言葉では到底解明できず、胸の内にはなおも疑念が重くのしかかる。 さて今、私は易州に来て張先生に遇い、大槐樹譜を手にして、その由来と細部を親切に語っていただいた。 呼元の乱世には、城邑は荒廃して、わずかな遺構のみが残るばかりであった。 明が燕京に都を定めると、天下の境を越えて大規模な移住が起こった。 そのころ、あなたの故郷は繁栄する町で、人々は盛んに増え、子孫を広げていた。 天子の勅命を聞くや、老若男女ともに一斉に旅立った。 友や親族は辛い別れを耐え、槐の下で出発の儀式を執り行った。 以来、あの大きな槐の木は……

張金堂氏による洪洞の大槐樹記念碑の紹介に応えて作られた詩

(萊陽)ワン・インナン

かつて、年長者たちが昔話の数々を語るのを耳にした。斉・魯・燕・衛の諸国の人々のうち、実に半数が晋の中央部へと追いやられていた。

幾世代もはるかに過ぎ去り、その系譜は時の流れに埋もれてしまった。系図の記録はまったく曖昧で、私の胸にはいつまでも不安が募るばかりである。

さて、私はここ宜州に至ったからには、張先生にお会いし、親しくお交わりを深めよう。大槐樹の記録を手にすれば、先生はその物語の最後の一部を私に語り聞かせてくれるだろう。

胡元の混乱の時代には、諸都市はすっかり荒廃した。明王朝は燕京に都を定めたが、その財宝は果てしなく遠い辺境へと散り散りになった。

その時、蜀相の一族は繁栄し、その民は数多く増えていった。皇帝の詔を聞くや、老いも若きも互いに手を取り合った。

親族や友人は悲しみに胸を締めつけられながら別れゆくが、かつて私たちが出会った槐の木の下には、今もなおその面影が残っている。この日より、あの大きな槐の木は、古今にわたり語り継がれる名を宿すこととなるだろう。

さて、今や景公が現れ、名勝を再興された。寺と塔が新たに築かれると、再び詩歌の催しが催されるようになった。

私もまた斉の野に住む。これを聞くや、我が喜びは新たなるなり。遥か西を眺めれば、広済の姿が一瞥せられるかのようだ。

塔の影はなんとまばらで、木々の色合いはいかにやさしく緑に染まっていることだろう。ああ、あの古き魂たち――その故郷はいったいどこにあるのだろうか。

彼はほかの郡々をさまよい歩き、その子孫たちは代々そこに戸籍を置き続けた。

ただ願うのは、これより先、もはや軍事遠征はなくなり、私が再び流浪の客として年を過ごすことがないことです。

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洪通の大イチョウ