姓のクエ
2021-04-02
始祖は闕鄭である。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県などに起源を有する闕氏一族が、洪洞の大きな槐樹の下で皇帝の勅命により一帯となって他地へ移住させられた。清代末期には、その子孫は河南省・山東省・河北省・北京市・山西省など各地に広がった。闕姓に関する最も古い記録は、東漢の『風俗通・姓氏篇』に見られる。
【姓の由来】この姓には主に四つの起源がある。① 地名を姓としたものである。山東省曲阜には「闕里」という地名があり、孔子が初めて教を説いた場所とされる。当地の住民の一部が「闕」を姓として採用した。② 国名に由来するものである。『左伝』によれば、かつて「闕公」と称する国があったとされ、その国の一部の者が「闕」を姓とした。③ 氏族や党の名称に由来するものである。『礼記・王制』に記されるところでは、「党」とは古代の地方行政単位であり、五百戸をもって一党とし、それぞれに長官と構成員を置いた。闕党の子孫の一部が後に「闕」を姓とした。④ 官職名に由来するものである。『礼記・王制』の姓氏の条に曰く、古には宮城の正門の外に二基の台があり、それぞれの上に楼門を設け、その楼門の下の通路を「闕道」と称し、しばしば詔書の公布の場となった。この闕道の警備に当たる官吏は「闕正」と呼ばれ、その子孫の一部が「闕」を姓とした。
【氏族の起源】「Que」姓の主要な出自は下邳郡である。下邳郡とは、東漢の永平十五年(西暦72年)に臨淮郡が改編されて下邳国となり、その治所が下邳に置かれたもので、南宋代には再び郡に改められ、おおよそ現在の江蘇省西北部に相当する地域にあたる。
【堂号】 闕氏の正堂の名称は「泉仙堂」である。泉仙堂:明代に、闕士奇は安南県の県令を務めた。在任わずか数ヶ月で、母の死を知ると故郷へと帰還した。以来、出世への野心を捨て、自ら家に隠棲して著述に専念した。その著作には『泉仙草』『闕野草』『蝌蚪詩』などがある。
【堂聯】闕氏の代表的な対句は次のとおりである。「才名高く」(闕錦)、「刺史として名高い」(闕毅)。「漢朝の模範たる刺史」(闕毅)、「宋代の高名な学者」(闕理)。
【著名人物】『中国歴史名人事典』には「闕」姓の人物が七例記載されており、『中国人名大辞典』には五例が収められている。歴史上の「闕」姓の人物としては、戦国時代に一人の著作を著した闕子、漢代の荊州刺史・闕意、宋代の高宗に仕えた宦官・闕利、南宋の別の宦官・闕舎、明代の学者・闕士奇、ならびに清代に活躍した桐城出身の画家・闕蘭などが挙げられる。
【人口】第四回全国人口センサスの結果によると、山西省には姓が「闕」の者が49人いる。
【祭壇厨子】クエ氏の先祖位牌は、大イタヤカエデの下にある宗祠の第10号祭壇厨子に祀られている。
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洪通の大イチョウ
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