プーという姓
2019-11-12
始祖は姜太公である。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県を起源とする蒲氏の先祖たちが、王朝初期に洪洞の大槐樹のもとに集められ、各地へ移住するよう命じられた人々の中に含まれていた。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・北京・天津・山西など各地に広がった。蒲姓についての最も古い記録は、唐代の著作『元和姓纂』に見られる。
【姓の由来】この姓は江氏に由来する。『魯若虚石碑銘』によれば、斉の太公の子孫のうち、蒲を姓とした者があったという。
【氏族の起源】蒲姓の主要な出自は京兆郡である。京兆郡は、漢代に首都圏を管轄した行政区分であった。秦代には、都城(おおよそ現在の陝西省咸陽市周辺に相当する地域)を統治するための官職として内史が設置された。漢の武帝の太初元年(紀元前104年)、右内史は京兆尹へと改編され、十二県を管轄した。その管轄範囲は、現在の陝西省西安市の東側から華県に至る一帯にほぼ相当する。
【堂号】蒲姓の代表的な堂号は「広平堂」である。広平堂:三国時代、蒲仁宇は十五巻からなる『広平集帳』を編纂した。
【堂額対聯】浦氏の主要な堂額対聯には、『修辞指南』、『詩学の正統』(浦南錦)、『才名高き者』(浦元)、『清廉剛直にして言官のごとし』(浦金鴻)が含まれる。
【著名人物】『中国歴代人名大辞典』には蒲姓の例が十件記されており、『中国人名大辞典』には九件が収められている。歴史上の蒲姓の人物としては、三国時代の魏にあっては、十五巻本の『平章集』を著した蒲仁裕、晋代には吏部尚書を務めた蒲玄、宋代には元外郎の蒲彦希、明代には御史職にあった蒲錦洪および嘉定出身の詩人・蒲南金、清代には無錫出身の史家・蒲起龍などが挙げられる。
【人口】第四回全国人口調査によると、山西省には蒲姓の人が180人おり、そのうち臨汾市に8人が居住している。
【祭壇櫃】プ氏の先祖牌は、大槐樹の下にある宗祠の第8号祭壇櫃に祀られている。
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洪通の大イチョウ
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