グァン姓
2019-11-06
先祖に当たる創始者は、広成子および広武君である。明代には、広氏の最初期の移住者は、平陽府・洪洞県・趙城県などの地域に起源を有していた。明初においては、朝廷の勅命により、洪洞の大槐樹の下に集められ、各地へと移住した。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・北京・天津・山西など、広く各地に分布するに至った。広姓に関する最も古い記録は、東漢の文献『風俗通・姓氏伝』に見られる。
【姓の由来】この姓には主に二つの源流がある。①広成子の子孫に由来するもので、『元和姓纂』によれば、黄帝の時代に広成子の一部の子孫が「広」という姓を称したと伝えられている。②また、李姓に由来するものもある。『風俗通・氏姓篇』に記されるところでは、西漢初期に李固東が広武侯に封ぜられ、その子孫が後に「広武侯」の称号から「広」の字を取って姓としたとされている。 【一族の名門郷】広氏の名門郷は丹陽郡である。丹陽郡はもともと秦代には鄣郡と称され、漢の武帝の元狩2年(紀元前121年)に丹陽郡と改称された。その領域はおおよそ現在の安徽省宣城一帯に相当する。晋代には再び宣城郡へと編成された。
【堂号】広氏の代表的な堂号は「至道堂」である。至道堂:古来、広成子は崆峒山の石室に隠棲し、黄帝が「至高の道の要諦」(悟りに至る鍵)についてその教えを請うたという。
【堂聯】広氏の堂聯には、「中書省に仕う」(広宋)、「贛州に碑を建つ」(広漢)がある。
【著名な人物】『中国歴代人名辞典』には、広姓の例が十一件記されている。この姓を名乗った歴史上の人物としては、西漢の広浩・広義、宋代の広翰、明代の広松などが挙げられる。
【人口】第四回全国人口調査によると、山西省には広姓の人が403人おり、そのうち臨汾市には6人いる。
【祭壇厨子】広氏の先祖位牌は、大槐樹の下にある宗祠の第8号祭壇厨子に祀られている。
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洪通の大イチョウ
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