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シュ姓

2019-08-12


その系譜は伯陵に遡り、始祖は叔盤金である。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県などに起源を有する叔氏一族が、洪洞の大槐樹の下で皇帝の勅命により一斉に他地へ移住させられた。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・北京・山西など各地に広がった。叔姓に関する最も古い記録は、唐代の著作『元和姓纂』に見られる。

【姓の由来】この姓には主に二つの源流がある。① 江氏に由来するものである。「通志・氏族略」によれば、古くは炎帝神農の孫に伯陵という者がおり、幼い頃から弓矢に心を奪われ、成長してからは卓越した射術を身につけたと伝えられる。ある時、野に狩りに出た際、呉権の妻・阿雲と出会い、二人は深く愛し合い、密かに駆け落ちして結ばれた。やがて阿雲は伯陵に三男を授け、その三男の名を叔潘金といい、彼もまた弓矢に強い関心を抱いた。伯陵がまだ幼い頃に狩りに行くことを禁じていたため、潘金は自宅で練習し、木板に飛鳥や猛獣の絵を描いて地面に立て、それに矢を放って狙った。これが中国最初の射的であったとされる。その射術は伯陵をも凌ぐほどで、聖帝・舜が即位すると、潘金を任命して弓矢の技を人々に伝えるよう命じた。射的の発明と国家への貢献を称え、舜は彼に共工の職を与え、さらに「叔」という姓を賜ったため、以後は叔潘金と称されるようになった。その後、その子孫は皆、賜られた姓「叔」を継承した。② 武器の名称を姓としたものでもある。「姓氏考」によれば、古代には「叔」という武器があり、これを姓とする者もあったという。

【氏族の故郷】蜀姓の主要な氏族の故郷は武功郡である。武功郡とは、北魏時代(西暦5世紀)に設置された岐州の一部で、現在の陝西省宝鶏市東部、渭河の北岸に位置していた。

【氏族館】蜀姓の主要な氏族館は、永慕館である。永慕館――明代にあって、蜀邦慶は七歳のときに父を失い、その悲しみはまるで成人のようであった。彼は母に対する孝行で名高く、遠方で叔父が亡くなった際には、その遺骨を自宅へ運び帰り、葬儀を執り行った。妻が逝去した後も、二度と再婚しないと誓った。息子の相順・贊順はいずれも心から父を喜ばせ、一家は和敬睦して暮らしていた。県の知事はその家風を称え、郷里の宴席において賓客として迎えた。

【堂聯】蜀姓の主な堂聯は次のとおりである。「虞廷の良輔」(「皮」「金」「兼」の偏旁を備える蜀姓)、「閩海の名士」(「文」の偏旁を備える蜀姓)、「瓊台に小 exile し、『補虚』の体裁で詩を賦す」(「莫」の偏旁を備える蜀姓)、「道術広く伝わり、定本の経典と方術を編纂す」(「吉」の偏旁を備える蜀姓)。

【著名人物】『中国歴史名人事典』には「舒」姓の項目が三つ収められ、『中国人名大辞典』にも同様に三つ掲載されている。歴史上の著名な「舒」姓の人物としては、舜帝の時代に舒潘金という官吏がおり、漢代には舒家興、南宋には道教学者・舒吉貞、明代には孝子・舒邦慶、清代には女流書家・詩人・舒墨が挙げられる。

【人口】第四回全国人口調査によると、山西省には舒姓の人が8人おり、そのうち臨汾市に1人が居住している。

【祭壇内陣】大槐樹の下にある祖霊殿の第7号祭壇内陣には、蜀氏の先祖位牌が祀られている。

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洪通の大イチョウ