ふるさと文化
強い名字
2018-01-30
羌姓の始祖は羌楚であり、現代中国においては第194位の最も多い姓である。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県などに起源を有する羌氏一族が、洪洞の大槐樹の下で皇帝の勅命により大規模に他地域へ移住させられた。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・北京・天津・陝西・甘粛・安徽・江蘇・湖北・遼寧・黒竜江・山西など各地に広がった。羌姓に関する最も古い記録は、唐代の著作『元和姓纂』に見られる。
【姓の由来】この姓には主に二つの源流がある。①先祖の名に由来するものである。「姓源」によれば、春秋時代初期、鄭国において、子産が宰相を務めていた。やがてその地位が鄭の侯公の猜疑を招き、侯公は子産の娘婿・雍久と結託した。これに対し、子産は重臣の強晉却を派遣して軍を率い、先手を打って雍久を捕らえ処刑した。その後、侯公は蔡国へ逃れ、子産は昭公を擁立して王位を奪還した。この一件で功績を挙げ、鄭国内の内紛を未然に防いだ強晉却の子孫は、その名を氏として受け継ぎ、これが強氏の起源となった。②古代の少数民族の姓に由来するものでもある。「十六国志」に記されるところでは、十六国時代の前秦に、洛陽の出身で、太傅を務めた苻堅の義兄にあたる強平という人物がいた。
【氏族の起源】羌姓の主要な出自は、天水郡と隴東郡である。天水郡は、西漢の元鼎三年(紀元前114年)に設置され、その治所は平襄(現在の甘粛省通渭県西北部)に置かれた。管轄区域は、今日の甘粛省天水・隴西以東の地域に及んだ。
【氏族館】羌姓の主要な氏族館は、俊渠館である。俊渠館:唐代に、永州の戸部司において書記官を務めていた羌勲は、当地で深刻な水不足に見舞われ、多くの家畜が渇きで死んでしまう事態に直面した。そこで彼は地元の人々を動員して運河を掘り、水源を導き入れることで、都市の飲料水問題を解決し、さらに司法少卿・右侍郎へと昇進した。
【家門・氏族の対句】羌氏の代表的な対句は次のとおりである。「三渠の徳を継ぐ」(羌勲)、「二花が並び、同じ道を共にする」(羌元明)。「一人が科挙に及第すれば、五子が家名を継ぐ」(羌志)、「溝渠を掘って地域を潤す」(羌勲)。
【著名な人物】『中国姓氏大辞典』には「強」姓の項目が16件収められ、『中国歴代人名大辞典』には17件が掲載されている。強姓を称した歴史上の人物としては、五胡十六国時代に洛陽の強平が左光禄大夫を務めたほか、唐代には馮州の書記官・玉州司戸参軍の強勲や、大唐皇帝・大暦年間の論語通の強孟、宋代には詩人・強至、金代には名将・強紳、明代には成化年間に科挙に及第した滄州の強珍、清代には詩文・書画に長じ、医学にも通じた上海の強星鑑などが挙げられる。
【人口】第四回全国人口調査によると、山西省には姓が「強」の者が6,279人おり、そのうち臨汾市に1,340人、洪洞県に1人が居住している。
【祭壇櫃】姜姓の先祖位牌は、大イタヤノキの下にある宗祠の第1号祭壇櫃に祀られている。【系譜】姜姓の主要な系譜資料には、次のものが含まれる:「江蘇・金塗姜氏未刊支系族譜」(中央民族大学)、「江蘇・金塗梁渓谷姜氏族譜二十二巻」(上海図書館、吉林大学)、ならびに「江蘇・無錫姜氏族譜」である。 五十二巻(北京図書館、河北大学)。
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洪通の大イチョウ
