ふるさと文化
魏という姓
2019-02-13
この家系は、魏氏を起源とし、魏偏を始祖とする。明代には、魏氏の先祖たちは平陽府・洪洞県・趙城県などの地域に戸籍が編入されていた。明初、朝廷の勅命により、洪洞の大槐樹の下に集められ、各地へ移住した。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・北京・陝西・甘粛・安徽・江蘇・山西など、広く各地に分布していた。魏姓に関する最も古い記録は、清代の著作『興氏考略』に見られる。
【姓の由来】この姓には主に二つの源流がある。① それは紀氏に由来するものである。『聖世考略』によれば、周の宣王の時代、鄭国の王子・翩が韋邑の地に封ぜられた。韋邑の旧址は現在の山西省平遥県の境内にあたり、その子孫は以後、魏氏と称されるようになった。② 地名を姓としたものである。『聖世考略』に記されているところでは、周の宣王の治世に、代の地に新たに韋州という郡が設けられ、その位置は現在の山西省霊丘県に当たる。当地の住民には恩命により姓が賜られ、彼らは韋州を氏として用いるようになった。
【氏族の起源】魏姓の主要な出自は琅邪郡である。琅邪郡とは、春秋時代にはもともと斉国の琅邪邑にあたり、春秋末期には越王勾践が都をここに遷した。秦の始皇帝二十六年(紀元前221年)に琅邪郡が設置され、その管轄地域はおおよそ現在の山東省東南部に位置する膠南県・諸城県・臨沂県の各一部に相当する。
【氏族館】魏姓の主要な氏族館は、清慎館である。清慎館――明の時代、魏能は礼部尚書を務め、のちに礼部侍郎へと昇進し、なおも礼部の諸事を統轄した。彼はこの職に三十有余年にわたり在任し、廉潔を旨とし、法に厳格に従い、分に過ぎる微少な利益すら一切受け取らなかった。礼部に相次いで仕えた諸官のうち、その清廉高潔さにおいて比肩しうる者はひとりもいなかった。
【家廟対聯】魏氏の主な対聯は次のとおりである。「名高く誉れ高し、位もまた尊し」(魏元・享年八十)、「威厳にして雄々しく、三関を制す」(魏 Zhao)。
【著名人物】『中国歴代人名辞典』には、魏姓の例が五件記されている。この姓を称した歴史上の人物としては、宋代には宝慶軍節度使・魏昭敏、龍衛軍指揮使・魏度がおり、明代には兵部侍郎・魏春、礼部尚書・魏壽がいる。
【人口】第四回全国人口調査によると、山西省には魏姓の人口が19,017人おり、そのうち臨汾市には164人が居住している。
【祭壇厨】大槐樹の下にある祖廟の第6号祭壇厨には、岳氏一族の位牌が祀られている。
【移住】洪洞の大槐樹に由来する魏氏の先祖系は、明・清交替期に新県の芝坊へと移住した。また、大港に由来する魏氏の先祖系は、明の永楽年間に山西省洪洞から天津市大港区の中塘村へと移り、さらに延慶に由来する魏氏の先祖系は、永楽十六年に山西省洪洞から北京市延慶県の白河堡へと転居した。
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洪通の大イチョウ
