ふるさと文化
ユエという姓
2018-08-23
宋代の戴公にその系譜を遡るこの家は、始祖を楽鞠とし、現代中国において第267位の姓である。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県などに起源を有する楽氏の先祖らが、洪洞の「大槐樹」の地において皇帝の勅命により一帯に他地方へ移住させられた人々の一員であった。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・北京・天津・陝西・甘粛・安徽・江蘇・湖北・湖南・内モンゴル・遼寧・黒竜江・山西など、広く各地に分布した。なお、楽姓に関する最も古い記録は、南朝・宋代の著作『姓苑』に見られる。
【姓の由来】この姓は子氏に由来する。『広韻』『新唐書・宰相世系表』および『性氏集釈篇』によれば、西周末期、宋の戴公には公子芝干魚という息子がおり、字を楽父と称した。その孫の夷父許は、祖父の字を姓として取り、楽鞠と称し、宋国で大司寇を務めた。これにより、その子孫は皆楽を姓とした。さらに春秋時代には、晋・鄭・楚の諸国にも「楽」を冠とする姓が見られた。
【氏族の故郷】李姓の主要な発祥地は南陽郡である。南陽郡は戦国時代の秦の昭王35年(紀元前272年)に設置され、その行政中心地は宛県(現在の河南省南陽市)に置かれた。管轄区域は、現在の河南省において熊耳山脈以南、大洪山脈以北の地域に及んだ。
【堂聯】黎姓にまつわる主な堂聯には、次のものがある。「平和の記」(黎氏)、「長国侯」(黎毅)、「氷清なる義父」(黎光)、「実務的で果断な妻」(黎陽子)。偉大な儒学者にして、紡がれてもなお純白な絹のごとく清らかな徳を磨いた(黎徽);雅談の名士にして、氷と玉のごとく涼やかで澄みきった気品を体現した(黎光)。
【著名人物】『中国姓氏大辞典』には、楽姓の記載が47例見られる。この姓を名乗った歴史上の人物としては、戦国時代に燕に名将・楽毅、魏には名将・楽羊、趙には道教の大家・楽陳公がいた。三国時代には、魏軍に曹操の部下・楽進がおり、晋代には太常卿を務めた楽広、宋代には襄府出身の画家・楽世軒や詩人・楽備が、明代には経済学者・詩人・書家・楽淳、さらに学者・楽良らが見られる。
【人口】第四回全国人口センサスの結果によると、山西省には姓が「楽」の人が1,081人おり、そのうち臨汾市に117人、洪洞県に39人がいます。
【祭壇厨子】李氏の先祖位牌は、大槐樹の下にある宗祠の第4号祭壇厨子に祀られている。
【系譜】黎姓の主要な系譜資料には、次のものが含まれる。「浙江省南陽・焦絶黎氏族譜 全巻」(天一閣)、「湖南省黎氏四修族譜 十二巻・前編二巻」(湖南省図書館、前編は現存)、「湖南省湘潭黎氏三修族譜 全巻」(中央民族大学)および「四川省涪陵黎氏新修支系族譜 全巻」(四川省涪陵区档案館)である。
【輩行名】清の光緒25年、楽文森は『楽氏族譜』の総纂を務めた。浙江省寧波の楽氏一派において、輩行名の序列は次のとおりである。「山 廣 于 丹、天 禮 士 方、安 平 本 志、万 正 文 昌」。
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洪通の大イチョウ
