移住情報
孫安は洪武年間に洪洞より移住し、曹の西北五十七里なる一村に定住した。孫宝通もまた洪武年間に洪洞より移り、曹県の西北五十五里に位置する孫村に住んだ。孫昌は明初に洪洞より曹県治の北方にある孫河へと転居した。孫元は洪武元年に洪洞より曹の西北にある孫楼へと移った。孫正礼および孫正智は洪武年間に洪洞より曹の西北にある孫集へと移住した。孫登耀は号を煥章といい、洪武年間に二人の弟とともに洪洞より韓城へと移り、のちに河南南部に定住した。孫玉昌は永楽年間に洪洞より開封府祥符県新楽社へと移った。孫東元は洪武年間に洪洞より曹の東南にある孫家集へと転居した。孫元元は明初に洪洞より曹の東南三十一里に位置する孫荘へと移住した。孫宏元は洪武年間に洪洞より曹の東南にある孫老家へと移った。孫成徳の配偶者……
洪武年間に、馬建業は洪洞から曹の西北六十里にある馬寨へ移住した。建文年間には、馬三が洪洞から曹県西北の馬山村へと移った。また、洪武年間に、馬士能も洪洞から曹の西北にある馬荘へ転居した。洪武三年には、馬飛星が洪洞から宜都の魏村へ移住した。洪武年間に、馬守節は洪洞から曹県西の馬荘へと移った。馬栄は、姓が馬の女性と結婚し、明代初期に洪洞から兗州の張家楼へ移住した。馬龍はもともと山西の出身で、林漳の馬村に定住した。永楽二年には、馬克行義が洪洞から安陽の朗谷村へ移り、同じく永楽二年に、馬克左行児も洪洞から内黄の西頭頭村へ転居した。さらに同年、馬克有行三も洪洞から湯陰県の宋梁橋村へ移った。そして、馬克良行四もやはり永楽二年に、洪洞から安陽へと移った。
李英奎は永楽年間、洪洞より清河の侯国屯へと移住した。李光軍は明初、洪洞より曹県の西徐李荘へと転居した。李福義は、志・欣の二子をもうけ、洪武年間に洪洞より曹県北王漢寨の小李寨へと移った。李雲橋(別名・英)は洪武年間、洪洞より曹県西北の魏王の李楼へと移住した。李若柳は、二子の泰恒・泰村を伴い、万暦年間に洪洞より曹県の南石荘へと移った。李玉春は弘治二年に洪洞より東明の張克老寨へと移住した。玉春の従弟に当たる李英春は、弘治二年、洪洞より曹県の易邑の南方二十里の地へと移った。また、玉春の従弟である李長春も、弘治二年、洪洞より定陶の易邑の西方十里の地へと転居した。さらに、玉春の遠縁にあたる李思妙は、弘治四年、洪洞より……
