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秦氏の移住した始祖たちの系図

2018-03-12


秦鵬は王氏と結婚し、一子・石をもうけた。洪武年間、彼らは洪洞から曹の西北七十里に位置する旧市鎮へ移住した。明初期の秦順は山西より城武の西十里にある秦舗へと移った。永楽年間の秦 Gong は洪洞から開封へ転居し、弘治二年に秦希顔は曹の西北にある秦寨へと移った。洪武期の秦廷禄は洪洞より曹地方の西方・秦楼へとやって来た。秦鍾には五人の男子があり、洪武年間に彼らは山西から山東の魯商の西方・財新林へと移住した――叔父四人と甥六人を含む親族十人がともに同じく移った。明代の秦大公は洪洞より秦家堆へと移り、さらに莒南へと進んだが、その途中で鳳河にて暴風雨に遭遇した。同じく明代の秦二公も洪洞から秦家堆へと移り、のちに鳳河沿いの莒南に定住した。明代の秦三公は洪洞より日照の秦家楼へと移った。以上は王文廷『洪洞移住者始祖表』より抜粋したものである。

秦鵬は王氏の娘と結婚し、一子・石をもうけた。洪武年間、彼らは洪洞から曹の北西七十里に位置する旧市場の町へ移住した。

明の初期、秦順は山西省から城武県の西方十里にある秦浦へと移住した。

秦氏は永楽年間に洪洞より開封へと移住し、弘治二年に秦希元は曹の西北に位置する秦寨へと転居した。

秦廷禄は洪武年間に、洪洞から曹集の西秦楼へと移住した。

秦忠には五人の息子がおり、洪武年間に彼らは晋から呂文上西部の西蔡林へと移住した(叔父四人と甥六人を含め、家族合わせて十名であった)。

明の時代、秦大功は洪洞から秦家堆へ、さらに莒南へと移り住んだが、その地で川の暴風雨に遭った。

明の時代、秦爾一族は洪洞から秦家堆へと移住し、その後莒南に定住したが、そこで河の暴風雨に見舞われた。

秦氏の三公は、明代に洪洞から日照の秦家楼へと移住した。

王文廷の「洪洞移住民の始祖表」より抜粋

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洪通の大イチョウ