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移住民における牛氏の始祖一覧

2018-03-12


牛従東児は、字を魯といい、永楽十三年に長子県から洪洞へ移され、のちに定陶に定住した。牛小大興義もまた、永楽十三年に長子県から洪洞へ移され、その後定陶へ転封された。牛鵬は、永楽四年に洪洞から文邑へ移された。牛従中は、山西省懐仁県永寧第二里沙湖府より定陶――すなわち牛双楼――へ転封された。牛従山は苗氏と婚姻し、永楽二年に山西省懐仁県永寧第二里沙湖府より東明牛集へ移された。牛北民(あるいは胡民か?)は、洪洞から修武の牛黄村へ移された。牛伝は三人の息子――洪・比・超――を伴い、洪武年間に洪洞の春樹胡同から温県西北部の牛隴趙へ移った。牛公(名は不詳)には十七人の兄弟と一人の姉妹があり、いずれも洪洞から温県西部の趙県荘へ移された。牛清、字を豫という。

牛従東は、字を魯といい、永楽十三年に長子県から洪洞へ移り、のちに定陶に定住した。

牛小大興氏族は、永楽十三年に長子県から洪洞へ移転し、その後定陶に定住した。

牛鵬は永楽四年に洪洞から文義へと移住した。

牛従中は、永楽二年に山西省渾源県永寧第二里沙湖荘から定陶の牛双楼へと移住した。

ニウ家はミャオ族と姻戚関係を結び、永楽二年に山西省渾源県第二号永寧村の沙湖府から東明の牛集へと移住した。

ニウ・ベイミン(おそらくホア・ミンか?)は、洪洞から修武の牛黄村へ移住した。

牛伝は、息子の洪・畢・超の三兄弟を伴い、洪武年間に洪洞の春樹胡同から温県北西部の牛隴趙へと移住した。

ニウ氏族(諱を忌避する姓)は、息子17人と娘1人から成り、洪洞より温県の西趙仙村へ移住した。

牛慶、字は玉水で、永楽年間に洪洞県内黄県西若坦村の出身であった。

王文廷の「洪洞移住民の始祖表」より抜粋

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洪通の大イチョウ