ふるさと文化
元の姓
2018-02-02
この氏族は周の文王にその系譜を遡り、袁伯および袁珍を最も古い先祖とし、現代中国において第273位の姓である。明代には、洪洞の大槐樹から移住した袁氏の原初の開基者たちは、平陽府・洪洞県・趙城県など各地の出身であった。明の初期、彼らは洪洞の大槐樹に集められ、他地域への移住を命じられた。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・北京・天津・陝西・甘粛・安徽・江蘇・湖北・湖南・内モンゴル・遼寧・黒竜江・山西など各地へ広がった。袁姓に関する最も古い記録は、東漢時代の著作『潜夫論』に見られる。
【姓の由来】この姓には主に二つの源流がある。① 一族の起源は紀氏に由来する。『姓氏集略篇』および『通志・氏族略』によれば、西周初期、周の文王の第十六子が原国に封ぜられ、原侯と称された。原国の旧領は現在の山西省沁水県の境域にあたり、のちに同国は東へ移り、今日の河南省済源県に及ぶ地域へと遷った。その後、原国は晋国によって滅ぼされ、原侯の子孫たちはその先祖の封地の名を取って「原」を姓とした。② もう一つは、鮮振の子孫に由来する。春秋時代、原国が晋国に併呑された後、晋は原の封邑を鮮振に与え、彼は「原振」と称された。これ以降、その子孫は「原」を姓とした。
【家門・氏族の対聯】元来の姓に由来する主要な氏族の対聯は、「冀州の賢臣」(袁紹)と「泗水の聖徒」(袁譚)である。
【著名な人物】『中国姓氏大辞典』には袁姓の例が十五件収められ、『中国歴代人名大辞典』には十六件が掲載されている。春秋時代の魯国に袁攘、鄭国に袁潁、陳国に袁仲、晋国に袁貞、孔子の弟子に袁亢、漢代には茂陵出身の袁赦、唐代には袁福、明代には蒲城出身で徳安府の通判を務めた袁興などが、いずれも袁姓の歴史上の人物である。
【人口】第四回全国人口センサスの結果によると、山西省には袁姓の人口が8万2,822人おり、そのうち臨汾市に2,667人、洪洞県に220人が居住している。
【祭壇櫃】先祖の位牌は、もともと「祖」の姓を称しており、大槐樹の下にある宗祠の第2号祭壇櫃に祀られている。
【移住】洪洞の大槐樹に由来する袁氏の一支は、明の永楽二年に北京・房山区南荘村へと移住した。また、甘谷に由来する袁氏の別の一支は、明初期に甘谷県金川郷袁家荘村へと移住した。
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洪通の大イチョウ
