ニュース情報
明時代における洪洞県出身の南氏の著名人物(原文)
2021-08-06
南大吉:正徳年間の辛未科の挙人で、出身地は不明である。進士であり、歴代の進士に関する『洪洞風物志・郷賢録』にもその名が見られる。
南斗:洪洞の出身で、嘉靖年間に生じ、陝西・漢中府の召募に従事した人物である。その名は『洪洞県志』の「諸生選抜目録」に見られ、毎年の省試に及第したと記されている。
南鳳鷄:嘉靖年間の戊戌科の挙人で、出身地は不明である。進士であり、歴代の進士録『洪洞風景』にもその名が見られる。
南岡:永楽年間の出身で、生地は不明である。癸卯年に挙人試験に合格し、鴻臚寺の主簿を務めた。『洪洞県誌』によれば、その名は登科録に記されている。
南宮傑:洪洞の出身で、崇禎年間に生きた人物である。『洪洞県志』の科挙の項には、彼が省級の進士として記されている。
南漢:洪洞の出身で、弘治年間の甲子科に挙人となり、陝西・渭南の潼関県の県丞を務めた。その名は『洪洞県志』の「登第者目録」に記されている。
南吉元:洪洞の出身で、万暦年間に生きた人物である。彼は南有容の長子であり、『洪洞県志』の「諸生名簿」にその名が見られ、毎年の省試に合格した貢生であったと記されている。
南儒人:天啓年間の壬戌科の進士で、郷里は不明である。また、彼も進士であり、その名は歴代の進士を記した『洪洞風景』に見られる。
南汝業:万暦年間の甲辰年に挙人となり、出身地は不明である。さらに進士にも合格し、歴代の進士を収めた『洪洞風物誌』にその名が見られる。
南居易:万暦年間の辛丑年に挙人となり、出身地は不明である。さらに進士試にも合格し、歴代の進士を収めた『洪洞風景』の記録にその名が見られる。
南爵:明の学者で、洪洞県の出身。直隷の定州において地方官(吏目)を務めた。その名は『洪洞県志』の「選抜諸生録」に記されている。
南 Kai:洪洞の出身で、弘治年間に山東省恩県の教諭を務めた。その名は『洪洞県志』の「選抜諸生目録」に記され、毎年の貢生の一人として列せられている。
南侃:明の学者で、洪洞出身。陝西の府谷県の主簿を務めた。その名は『洪洞県志』の「諸生候補者目録」に、正貢候補者の一員として記されている。
南啓中:万暦年間の庚辰科の挙人で、出身地は不明である。進士であり、歴代の進士を記した『洪洞風物誌』にもその名が見られる。
南尚志:陝西・会寧の出身で、嘉靖年間に洪洞県の教諭を務め、「洪洞県誌」の官職表に記されている。
南士忠:万暦年間の義烏科挙に合格した進士で、出身地は不明である。彼は進士であり、歴代の進士を収めた『洪洞風景』の記録にもその名が見られる。
南紓:明の学者で、洪洞出身。直隷省深沢県の県丞を務めた。『洪洞県志』の「選挙表」には、正貢候補者としてその名が記されている。
南泰:洪洞の出身で、成化年間に生れ、陝西の宝安県の県令を務めた。その名は『洪洞県志』の「諸生目録」に見られ、毎年の省試の貢挙者として記されている。
南塘:宣徳年間の嘉靖年号に科挙の挙人として合格したが、出身地は不明である。また進士でもあり、『洪洞風俗志』には、歴代にわたって列挙された進士の一員としてその名が見られる。
南通:洪洞の出身で、弘治年間に生きた。嘉靖甲子年に挙人試験に合格し、その名は『洪洞県志』の「科挙表」に記されている。
南軒:嘉靖年間の癸丑科の挙人で、出身地は不明である。進士であり、『洪洞風俗志』には、歴代にわたって列挙された進士の一員としてその名が見られる。
南学中:洪洞の出身で、天啓年間の辛酉年に挙人となった。その名は『洪洞県志』の「登第者目録」に記されている。
南有容:洪洞の出身で、隆慶年間には直隷の軍県の県丞を務めた。その名は『洪洞県志』の「諸生目録」に見られ、毎年の省試の貢生であったとの記載がある。
南宇:明代の人物で、その出身地は未詳である。紹定年間、西方への遠征に派遣され、名将として知られた。その子孫は渭南・東昌・濮陽などに見られ、墓も存在するという。伝記は『洪洞人物志』に収められている。
南肇:天順年間の庚辰科の挙人で、出身地は不明である。進士であり、歴代の進士に関する『洪洞風景』の記録にもその名が見られる。
南肇:山東省蒲州の出身で、万暦年間に洪洞県の県令を務めたと『洪洞県志』の官職表に記されている。
南子皎:明代の学者で、洪洞出身。河南の磁州において地方官(吏目)を務め、のちには直隷の茅山衛において行政官(經歷)の職に就いた。その名は『洪洞県志』の「選挙表」の項に記され、常例貢納の候補者として列せられている。
キーワード:
洪通の大イチョウ
