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喬—明代の洪洞県に生きた著名な人物(原文)

2021-07-13


喬鄧:趙城の出身で、天順年間に生れ、科挙において省級の及第者であった。「趙城県誌」には、毎年の省試の合格者の中に進士として記されている。

喬挙:洪洞の出身で、嘉靖年間に生きた。その名は『洪洞進士録』に、洪洞県の彫刻師として、董鸞・董挙および張倉頡らとともに記されている。

喬居山:嘉靖元年生まれで、出身地は不明。生徒であった。その名は『洪洞進士録』に記されており、とりわけ趙城県の学路開設を記念する銘文に見られる。

喬俊:明代の人物で、生地は不明である。喬遷の父にあたり、没後に文林郎の位を追贈された。その叙爵の事績は、『洪洞県志』の「選挙表」に記されている。

喬明:正統な科挙制度の丁卯年(1567年)の挙人で、出身は趙城である。彼は八股貢に選ばれ、『趙城県誌』には挙人の項に記され、毎年の八股貢の一人であったと伝えられている。

喬年:嘉靖年間の人物で、出身地は不明。工事の監督を務めた。その名は『洪洞進士録』に記されており、同書には明代に于氏祠堂が修繕されたことを記念する銘文も収められている。

喬諾:成化年間の辛卯科の挙人で、出身は趙城である。その名は『趙城県誌』の挙人条に見られ、同年の増貢であったとの記録が残っている。

喬謙:洪洞の出身で、正徳年間に生きた。丙子年の郷試に及第し、その名は『洪洞県誌』の「登科録」に記されている。

喬松:明代の学者で、趙城の出身であり、塾師を務めた。『趙城県誌』には、科挙の及第者欄に記されており、毎年の貢士の一人であったと伝えられている。

喬天志:明の学者で、洪洞出身。直隷の大名において召募官を務めた。その名は『洪洞県誌』の「選挙表」に見られ、正貢候補者として列せられている。

喬毅:明代の学者で、洪洞出身。金台徳年間第三年に進士試に合格した。『洪洞名賢録』にその事績が記されている。

喬印玉:陝西の耀州の出身で、万暦年間に洪洞県の県令を務めたと『洪洞県志』の官職表に記されている。

喬英昭:万暦年間の人物で、その出身地は不明である。石工であり、『洪洞進士録』に収められた禅宗・一顔義師の功徳碑の銘文にもその名が記されている。

喬宇:趙城の出身で、万暦年間に省級の科挙合格者として、陝西・宜川の教諭を務めた。『趙城県志』には、科挙の及第者の項に記され、省級の合格者に列せられている。

喬 Yue:洪洞の出身で、永楽年間に陝西において御史を務めた。『洪洞県誌』の官職選抜の項によれば、その名は毎年の省貢候補者の中に見られる。

喬雲通:楽平の出身で、万暦年間に趙城県の教諭を務め、「趙城県誌」の官職表にその名が記されている。

喬志:嘉靖年間の洪洞の人で、名工の彫刻師であった。『洪洞進士録』には、明代の洪洞県の彫刻師として、董鸞・董琚のほか、張倉頡も記されている。

喬子英:趙城の出身で、嘉靖年間の状元である。その名は『趙城県志』の「状元登科」の項に記されている。

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洪通の大イチョウ