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ユーシン:明代の洪洞県出身の著名人(原文)

2021-07-08


于邦品:明代の学者で、もともと洪洞の人である。「洪洞県誌」によれば、その名は「正貢」の項に掲げられた科挙及第者の一覧に見られる。

于洪:北直隷の任丘の出身で、正徳年間に挙人となり、趙城県の県令を務めた。その名は『趙城県誌』の官職欄に記されている。

于連:正徳年間の北直出身で、『趙城県誌』の官職欄に記されているように、趙城県の県令を務めた。

于溥:洪洞の出身で、弘治年間に生きた。嘉靖甲子年に挙人となり、その名は『洪洞県志』の「科挙表」に記されている。

于讓:明代の学者で、生地は不明。子に于璞があり、没後に文林郎の位を追贈された。『洪洞県志』の「選挙表」にその名が見られ、封爵および諡号に関する記録が残されている。

于世傑:趙城の出身で、万暦年間に趙城県の典史を務めた。その名は『洪洞進士録』に収められた水神廟の祭礼を記念する碑銘にも刻まれている。

于思忠:明の洪武年間の人物で、その出身地は不明である。『洪統進士録』に収められた、山を封じた旨の勅命を記した碑文によれば、彼は興唐寺を掌する道人であった。

于塗傑:万暦年間の人物で、出身地は不明である。趙城県の典史を務め、その職歴は『趙城県誌』の官職欄に記されている。

于欣:嘉靖年間の人物で、その出身地は不明である。洪洞県の典史を務め、『洪洞進士録』にその名が記されており、とりわけ明代に同県の儒学宮が移転・再建された際の記念銘文の中に見られる。

于一龍:明代の学者で、出身は洪洞である。「洪洞県志」によれば、その名は科挙の及第者欄に「六公」として記されている。

于英昌:洪洞の出身で、嘉靖年間に生きた人物である。辛卯年に郷試に及第し、その名は『洪洞県志』の「登科録」に記されている。

于肇:洪洞の出身で、洪武年間に河南省の渓県知県を務めた。『洪洞県志』の「選挙表」にその名が見られ、毎年の貢生候補であったとの記録がある。

 

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