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董姓:明代の洪洞県出身の著名人(原文)
2021-06-04
董朝祥:趙城の出身で、万暦年間の癸未年に生れた。進士であり、山東省臨清府において師範を務めた。その名は『趙城県誌』の科挙及第者欄および官職の官員録に記されている。
董朝阳:明代の学者で、洪洞出身。河南省商城県の書役を務めた。その名は『洪洞県志』の「選挙表」に見られ、同書には彼の官歴が記されている。
董福生:明代の学者で、洪洞県の出身。直隷・通州において州同を務めた。その名は『洪洞県志』の「選挙表」に見られ、官歴についても記録されている。
董廣宇:洪洞の出身で、隆慶年間に生きた。庚午年に科挙に及第し、その名は『洪洞県志』の登科録に記されている。
董廣祖:明代の学者で、出身は洪洞である。『洪洞県誌』の官職選抜の項によれば、彼は常例の貢生であったと記されている。
董吉洙:直隷の安肅の出身で、嘉靖年間に洪洞県の主簿を務めたと『洪洞県志』の職官表に記されている。
董九川:嘉靖年間の人物で、出身地は不明である。洪洞県において教諭を務め、その名は『洪洞進士録』に記されており、とりわけ同県の儒学宮の移転・再建を記念する銘文の中に見られる。
董居優:洪洞の出身で、嘉靖年間に生きた木版彫刻家である。「洪洞進士録」には、明代の洪洞県の彫刻家として董鸞と董居優の名が記され、また張蒼碑の銘文も収められている。
董亮:洪武年間の人物で、その出身地は不明である。趙城県の主簿を務め、『趙城県誌』および『洪洞進士録』の官職表に記載されているほか、明の弘治八年八月に作られた女媧夫人を祀る御祭文にもその名が見られる。
董鸞:洪洞の出身で、嘉靖年間に活躍し、石工として働いた。『洪洞進士録』には、明代の洪洞県において、張蒼碑に銘を刻んだ者の中に、石工の董鸞および董琚が含まれると記されている。
董孟吉:洪洞の出身で、万暦年間の戊午科に挙人となり、関安衛の守備指揮官を務めた。その名は『洪洞県志』の「諸生目録」に見られ、武科に及第したと記されている。
董権:明の学者で、洪洞出身。『洪洞県誌』の官職選抜の項によれば、彼は常例の貢士であったと記されている。
董如林:洪洞の出身で、嘉靖年間に生れ、陝西の鞏昌府において教官を務めた。その名は『洪洞県志』の「諸生候選目録」に見られ、毎年の省試に合格した諸生の一人として記されている。
董瑞祺:明代の学者で、生地は不明。董廣宇の父にあたり、没後に文林郎の位を追贈された。その叙爵の事績は、洪洞県志の「選挙表」に記されている。
董尚清:万暦年間の人物で、出身地ははっきりしないが、石工であった。明時代に平陽府の両省御史が発布した官告碑にその名が記されており、『洪洞進士録』にも収められている。
董氏:洪武年間の人物で、出身地は不明である。丙子年に省試に及第し、解元の科に首席となった。陝西の西河県の県学教諭を務めた。『洪洞県誌』によれば、その名は登科録に記されている。
董泰:洪洞の出身で、正徳年間に生きた。『洪洞県誌』の科挙登用の項には、省試の貢士として記されている。
董文明:直隷の河間の出身で、嘉靖年間に洪洞県の県教諭を務めたと『洪洞県誌』の官職表に記されている。
董戊典:直隷・内黄の出身で、嘉靖年間に洪洞県の主簿を務めたと『洪洞県志』の官職表に記されている。
董軒:明代の学者で、洪洞出身。陝西の贛州において行政官を務めた。その名は『洪洞県志』の「登第者目録」に見られ、正貢生として記されている。
董詢:洪洞の出身で、隆慶年間の進士である。『洪洞県志』の科挙の項には、恩貢に列せられている。
董永輝:崇禎年間の人物で、出身地は不明である。科挙の進士であった。その名は「洪洞進士録」に収められた関帝廟の碑銘に記されている。
董仲石:万暦年間の万安鎮の出身で、郷里の長老であった。その名は『洪統進士録』に記されており、とりわけ汾府鉄鹿荘の関帝廟再建を記念する銘文の中に見られる。
董崇仁:杜武村の出身で、明中期に生きた人物であり、『洪洞風景』にその名が記されている。
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洪通の大イチョウ
