ふるさと文化


鮮于という姓

2021-05-18


その始祖は箕子である。鮮于姓に関する最も古い記録は、南宋の『興元』に見られる。
【姓の由来】この姓には主に二つの源流がある。① それは箕子の子孫に由来するものである。『古今姓氏書辯証』によれば、周の武王は箕子を朝鮮に封じ、その支系の子孫・仲に于夷の地を食邑として与えた。その後、その子孫らが「鮮」と「于」の字を組み合わせて鮮于という姓を創出したとされる。② もう一つは、古代の少数民族の姓に由来するものである。『魏書』に記されているところでは、南北朝時代、定州の丁零族もまた鮮于の姓を称していた。
【氏族の起源】鮮于姓の氏族起源には、漁陽郡および太原郡が含まれる。漁陽郡は戦国時代に燕国によって初めて設置され、秦・漢の各王朝にも引き継がれた。その行政中心地である漁陽は、現在の北京市密雲県の南西部に位置していた。
【家廟対聯】鮮于氏の家廟対聯には、「魯公の碑」(鮮于仲通)および「瑞君、福星」(鮮于仁賢)が含まれる。
【著名人物】『中国姓氏大辞典』には鮮于姓の事例が十件収められ、『中国歴代人名大辞典』には十一件が掲載されている。歴史上の鮮于姓の人物としては、漢代に幽陽の鮮于傅が辺境将軍を務め、東漢には京兆尹の鮮于褒、北斉には征虜将軍で宜陽郡王に封ぜられた鮮于師容、唐代には剣南節度使を歴任した新鄭の鮮于仲通、さらに元代には幽陽の出身で名高い書家・鮮于枢が挙げられる。
【祭壇櫃】先宇氏の祖先牌位は、大槐樹の下にある祖廟の第10号祭壇櫃に祀られている。

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