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宇文姓

2021-05-17


始祖は炎帝である。宇文姓は、唐代の『元和姓纂』に初めて記されている。
【姓の由来】その起源は主に二つあります。① 一つは、古代の少数民族の姓に由来するものです。漢代には、匈奴が北匈奴と南匈奴に分かれました。南匈奴のうち、単于の末裔である葛武という首長は、世襲で「大任」の称号を有していました。やがてその系譜が蒲輝に至ったとき、狩猟の際に「皇帝之璽」と刻まれた玉印を三つ手に入れました。これを神の賜物と信じた蒲輝は、宇文の姓を採り、後に宇文を複合姓として用いるようになりました。② もう一つは、炎帝・神農の子孫に由来するものです。伝承によれば、古代において炎帝・神農は黄帝に敗れ、その子孫は北方へ逃れました。これが鮮卑族の先祖となりました。神農はかつて数百種の草木を試し、農業の発展に多大な貢献を果たしたことから、鮮卑の人々は自らを「四分氏」と称しました。やがてその発音が変化し、次第に「宇文」となり、その後、その子孫たちが宇文を複合姓として受け継ぐようになったのです。
【氏族の起源】宇文氏の先祖代々の郡は、趙郡および太原を含む。趙郡は東漢時代に設置され、おおよそ現在の河北省中部にある趙県および邯鄲周辺の地域に相当する。
【家門・氏族の対句】宇文氏の対句には、次のようなものがある。「巧みな思索と広い学識」(宇文開)、「戦場における熟練の策士」(宇文忻)。「清廉な操守と雅なる文才」(宇文弼)、「草を折り石を積む」(宇文深)。「子供たちの遊びを見れば、立派な将軍が生まれるのを予見できる」(宇文深)、「武勲を立てれば、侯爵に封ぜられる」(宇文秋)。
【著名人物】『中国姓氏大辞典』には宇文姓の記載が49件あり、『中国歴代人名大辞典』には70件が収められている。歴史上の宇文姓の人物としては、南北朝時代の北魏に、武川出身で関中大都督を務めた宇文泰がおり、北周には代州の出身で「聖烈将軍」の称号を有した宇文盛がいる。隋代には宇文壐という名将が活躍し、唐代には開元年間に御史中丞を務めた宛安出身の宇文融が、宋代には文長嶺が見られる。
【祭壇厨】大イチョウの下にある祖霊殿の第10号祭壇厨には、宇文氏の先祖牌が祀られている。

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洪通の大イチョウ