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ベイという姓

2021-04-30


明代には、洪洞の大きな槐樹から移住した貝氏の先祖たちは、もともと洪洞県平陽府および趙城県に戸籍を置いていた。明初、朝廷の勅命により、洪洞の大槐樹の地に集められ、各地へ移り住んだ。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・北京・天津・山西など広く分布するに至った。貝姓についての最も古い記録は、明代の『尚友録』に見られる。
【姓の由来】この姓は地名に由来する。『姓源』によれば、北姓は清河の北邱にその起源をたどり、同地は現在では山東省博興県の管内に位置している。当地の住民は、地名から「北」という字を取って自らの姓としたと伝えられている。
【著名人物】『中国姓名大辞典』には、貝姓の項目が五つ収められている。また、『中国歴代姓名大辞典』には七つ掲載されている。歴史上の貝姓の人物としては、漢末に華容県令を務めた貝羽、晋代の陰陽家・貝凌蓋、宋代に上虞の出身で江陰県令を歴任した貝欽城、さらに明の洪武年間に元史の編纂を命じられた貝瓊などが挙げられる。
【氏族の本貫】貝姓の主要な本貫は清河郡である。清河郡は、漢の高祖五年(紀元前202年)に初めて設置され、現在の河北省清河から山東省臨清に至る一帯に相当する地域にあたる。
【堂号】北氏の本堂の名は「明恕堂」である。明恕堂:明代に、北衡は邵陽の県令を務め、のちに東阿へ転任した。官吏として、仁慈で聡明かつ公正であり、民衆の深い慕情を獲得した。朝廷が彼を別の職へと異動させた際、東阿の老齢の長老数百人が、彼の留任を願い出たため、朝廷は彼を一階級昇進させつつも、東阿に留まることを許した。
【家廟対聯】貝氏の代表的な対句は次のとおりである。「民は河を浚渫する恩恵に浴す」(貝清石)、「県は豊穣に満ちる」(貝衡)。「東呉より滾々たる印璽」(貝泰)、「清江のほとりに歴史の著述」(貝瓊)。
【人口】第四回全国人口調査によると、山西省には貝姓の人が85人おり、そのうち臨汾市に10人が居住している。
【祭壇厨子】大槐樹の下にある宗祠の第10号祭壇厨子に、貝氏の先祖牌が祀られている。

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洪通の大イチョウ