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ク姓

2021-03-15


始祖は曲門弼である。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県などに起源を有する曲氏一族が、洪洞の槐樹の下で皇帝の勅命により一斉に他地へ移住させられた。清代末期には、その子孫は河南省・山東省・河北省・北京市・山西省など各地に広がった。曲姓に関する最も古い記録は、唐代の著作『元和姓纂』に見られる。
【姓の由来】この姓には主に三つの源流がある。① 姓「紀」に由来するものである。「元和姓纂」によれば、農業の神・后稷には子の卜薛初がおり、彼の妻は十八か月の妊娠の末、ようやく男児を出産した。生まれたとき、乳児は右手を固く握りしめていて、どんなに力を入れても開かなかった。不思議に思った卜薛初は子に問うた。「お前の手には何の秘め事があるのか。お前の言うままに従おうか?」そう言うやいなや、子の手は緩み、その掌には古代の草書体で「蝌蚪」を表す文字のような掌紋が現れた。そこでその男児は「鞠陶」と名付けられた。成長して鞠陶は周人の首長となった。周族は姓を紀としていたが、鞠陶の子孫の一派は、その名「鞠」から姓を取った。漢代、鞠氏の一人・鞠坦は門比をもうけた。迫害を避けるため黄中へ移住し、敵に居所を知られるのを恐れて「鞠」の字を「曲」に改め、「曲門比」と称した。その後、一族は西平(現在の青海省・西寧市に行政中心を置く)に定住し、以後の子孫は「曲」を姓とした。② 同じく姓「紀」に由来するものである。「路史」によれば、魯の貴族の子孫のうち、姓「曲」もまた紀の系譜に連なる。③ 官職名に由来するものである。「周礼」に記されるところでは、周代には酒を醸造する役職「曲人」があり、その子孫が後に姓「曲」を採用したと伝えられている。
【氏族の本貫】曲氏の主要な先祖の本拠地は汝南郡である。汝南郡は漢の高祖四年に設置され、その治所は上蔡(現在の河南省上蔡県西南部)に置かれた。管轄区域はおおよそ今日の河南省中部南部および安徽省の淮河以北の地域に相当する。
【堂号】曲氏の本堂の堂号は「徽政堂」である。徽政堂とは、「徽政」とは民を愛する政治を指す。唐代、望江県令であった曲欣領は、民の福祉を深く思いやり、仁政を施した。その功績を称えて民が祠を建立し、白居易は彼の徳をたたえる『秦中吟』を撰んだ。
【家廟対聯】曲氏の代表的な対句は、「晋城の名門」(曲雲)と「全県の名族」(曲震)である。
【著名人物】『中国歴代人名大辞典』には「曲」姓の記載が12件あり、『中国人名大辞典』には10件が収められている。歴史上の「曲」姓の人物としては、晋の永嘉年間に左民尚書を務めた晋城出身の曲雲、隋の曲伯智、南北朝時代の北斉の重臣・曲珍、唐の高昌国王・曲文泰、さらに明の永楽年間に金山衛の百夫長を務めた曲祥などが挙げられる。
【人口】第四回全国人口調査によると、山西省には姓「曲」の人が718人おり、そのうち臨汾市には9人いる。
【祭壇櫃】ク氏の先祖牌は、大イタヤカエデの下にある宗祠の第10号祭壇櫃に祀られている。

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洪通の大イチョウ