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杜という姓

2021-03-03


始祖は杜叔である。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県などに起源を有する杜氏一族が、明初の洪洞の大槐樹の地において、皇帝の勅命により一帯となって他地方へ移住させられた。清代末期には、その子孫は河南省・山東省・河北省・北京市・山西省など各地に広く分布した。
杜姓の最も古い記録は、唐代の『元和姓纂』にまで遡る。
【姓の由来】この姓は、姬氏に由来する。『姓源』によれば、春秋時代、鄭国の釐公は姫族の子祖によって追われ、公子忽が擁立された。その後、公子忽が殺され、再び公子顕が幾度か擁立された。中原と楚国の中間に位置する鄭国は、その政情の安定が斉の桓公の覇権確立に大きな影響を及ぼしていた。桓公は管仲の進言を容れ、鄭に兵を派遣して公子夷を討ち、ついで釐公を王位へと復帰させた。さらなる動乱を防ぐため、桓公は鄭の「三賢」――叔詹・杜叔・師叔――を招いた。この三人は徳行高く、鄭において極めて高い威望を有していたため、釐公の復位は円滑に進められた。 「三賢」のうち、杜叔は名を解口といい、封地が杜にあったことから通称として杜叔と呼ばれた。彼は鄭の重臣として活躍し、国家の安定維持に重要な役割を果たした。杜叔の没後、その子孫は封地の名称に由来する「杜」を姓として受け継いだ。
【氏族の起源】杜姓の氏族の起源は河東郡である。河東郡は秦の始皇帝の時代初期に設置され、現在の山西省における黄河以東の地域に相当する。
【宗族の祠堂】杜氏の祖廟は「武略堂」として知られている。武略堂――明の時代、度雲希は戸部郎中として長沙府の知府に任ぜられ、郷兵を率いて山賊を撃退した。その後、湖北総督に昇進し、叛乱の首領・李進が三十数万の大軍を率いて攻め寄せてきた際には、これを破って降伏させた。以来、その軍功は隆盛を極め、人々は皆、彼の用兵の才を称賛した。
【家廟の対聯】杜氏の代表的な対句は次のとおりである。「繁栄する家系、鄭国に比肩す(杜叔);徳は広く遠く及び、伊都のごとし(杜王秀)。」 「一族の始祖は春秋時代にさかのぼる(杜叔);忠節と清廉は江蘇・浙江の各地で高く称えられた(杜堅)。」
【著名人物】『中国歴代人名辞典』には、杜姓の例が四件記されている。この姓を有する歴史上の人物としては、春秋時代には鄭国の重臣・杜匱、杜叔、杜余靡、杜女父らが、元代には詩人・画家の杜簡が、明代には湖北総督を務めた杜雲希や、弘治年間に県令を務めた杜権が、清代には詩人・画家の杜霞および利城県令を務めた杜廷が挙げられる。
【人口】第四回全国人口調査によると、山西省には杜姓の人が26人おり、そのうち臨汾市に6人が居住している。
【祭壇厨子】杜氏の先祖位牌は、大槐樹の下にある宗祠の第10号祭壇厨子に祀られている。

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洪通の大イチョウ