赤という名字
2021-02-22
家系は劉氏に遡り、洪福を始祖とする。明代には、洪氏は平陽府・洪洞県・趙城県などの地域を発祥の地とした。明初、朝廷の勅命により、洪氏の諸族が洪洞の大槐樹の下に集められ、各地へ移住させられた。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・北京・山西など広く分布した。洪姓に関する最も古い記録は、唐代の著作『元和姓纂』に見られる。
【姓の由来】この姓は劉氏に由来する。『通志・氏族略』によれば、西漢初期、漢の高祖・劉邦は異母兄の劉交を楚王に封じた。劉交には次男の劉復がおり、はじめは修侯の爵位を与えられ、後に改めて紅侯に封ぜられた。紅侯領は現在の安徽省蕭県西方の紅亭に位置していたため、劉復の子孫はこの世襲の爵号に因んで「紅」を姓とした。
【氏族の起源】洪姓の主要な出自は平昌郡である。平昌郡とは、南宋時代に頓丘郡が徐州の平昌郡へと改編されたもので、その治所は頓丘に置かれ、現在の河南省中部にほぼ相当する地域にあたる。
【堂号】洪氏の代表的な堂号は「宗漢堂」である。宗漢堂とは、同氏が漢代の皇族にその源流を遡るところから名付けられたものである。 【堂聯】洪姓にまつわる主な対句には、次のようなものがある。「漢は楚に王を封じ、楚は洪に侯爵を授けたり」「英雄の娘はかつて卑しい娘(洪賢)を薦め、聡明な娘も洪娘に及ばず」 「民に恩恵をもたらした大臣(洪尚主)、貴族の家に生まれた王子(洪氏)」
【著名人物】『中国歴代人名辞典』には、洪姓の例が八件記されている。この姓を名乗った歴史上の人物としては、唐代の女侠・洪仙、明末の農民反乱指導者である洪君友・洪娘子および洪尚模、さらに清代の名妓・洪蘭が挙げられる。
【人口】第四回全国人口調査によると、山西省には洪姓の人が49人おり、そのうち臨汾市に9人が居住している。
【祭壇厨子】大槐樹の下にある宗祠の第9号祭壇厨子には、洪氏の先祖牌が祀られている。
【移住】洪氏は、洪洞の大槐樹に由来し、その先祖は明代中期に山西省洪洞から河南省濮陽県梁荘郷洪屯村へと移住したことに遡る。
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洪通の大イチョウ
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