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ホン姓

2020-09-18


始祖は洪顔である。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県などに起源を有する洪氏一族が、皇帝の勅命により一帯で他地へ大規模に移住させられ、その集合地点は洪洞の大槐樹であった。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・北京・天津・山西などの各地に広く分布した。洪姓に関する最も古い記録は、東漢の『風俗通・姓氏篇』に見られる。
【姓の由来】この姓は、洪偃の子孫に由来する。『風俗通』の「姓氏篇」によれば、衛国の重臣・洪偃の子孫のうち、一部が洪を姓としたと記されている。 【氏族の著名な本貫地】洪姓に関連する主要な本貫地は、太原郡である。太原郡:秦の荘襄王四年(紀元前246年)に設置され、その治所は晋陽(現在の山西省太原市南西部)に置かれ、山西における五台山以南および霍山以北の地域を管轄した。
【堂号】洪氏の主な堂号は「那干堂」である。那干堂――狄人が魏を攻撃した際、魏の懿公を殺害した。高官の洪顔は使節の任にあり、まだ帰還していなかった。その報を聞くや、急ぎ帰郷し、懿公の遺体を探したが、すでに狄人に食われていて、残されていたのは肝一つだけであった。そこで洪顔は、その肝に向かって礼儀を尽くして任務の経緯を報告し、続いて剣を抜いて自らの腹を裂き、懿公の肝を体内に納めてこう宣言した。「私は懿公の身となりましょう」と。この言葉をもって、彼は遂に死んだ。
【家廟の対聯】洪氏の代表的な対聯は次のとおりである。「法を知る強臣」(洪奇)、「真心を捧げる義士」(洪彦)。「高潔の名は千古に輝き、誰が車に乗って帰る鶴を慕わぬことか」(洪彦)、「非凡な才と深い経学の見識を備え、ついには天下に名を馳せる学者となった」(洪公)。
【著名な人物】『中国姓氏大辞典』には、洪姓の事例が三件収められている。また、『中国歴代人名大辞典』には十四件が掲載されている。洪姓を称した歴史上の人物としては、春秋時代に魏国の重臣・洪顔、漢代には沛出身でかつて太尉を務めた洪公、さらに三国時代には曲阿出身の洪子が挙げられる。
【人口】第四回全国人口センサスの結果によると、山西省には洪姓の人が9人おり、そのうち臨汾市に2人が居住している。
【祭壇櫃】洪氏の先祖位牌は、大槐樹の下にある宗祠の第9号祭壇櫃に祀られている。

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洪通の大イチョウ