ニュース情報


鄭姓:明代の洪洞県出身の著名人(原文)

2020-09-17


鄭朝臣:嘉靖年間の丙申科の挙人で、出身は趙城である。その挙人としての身分は、「趙城県志」の世襲封爵の項に記されている。
鄭朝祥:洪洞の出身で、嘉靖年間に生れ、山東省萊州において教諭を務めた。その名は『洪洞県誌』の「選抜諸生目録」に記され、毎年の貢生の一人として列せられている。
鄭當士:洪洞県の出身で、明昌年間に進士となった。『洪洞人物誌』にその名が記されている。
鄭光鑑:明時代の洪洞県出身で、『洪洞県志』の官職選抜の項に記されているところによれば、正貢生員に列せられている。
鄭広元:明時代の洪洞県出身で、『洪洞県志』の「選任官」の項に記されており、正規の貢士候補者として列挙されている。
鄭光澤:崇禎十六年生、出身地は不詳。国子監の諸生で、『洪洞進士録』に収められた関帝廟の碑銘にその名が記されている。
鄭貴:同市の鄭氏の出身で、元・明両朝にわたって進士であったと『洪洞風景』に記されている。
鄭国柱:万暦年間の人物で、もとは河南の葉県の出身。挙人であり、趙城県令を務めた。その名は『趙城県志』の「官職伝」に記されている。
鄭簡:明代の人物で、その出身地は不明である。鄭潔の父であり、「承事郎」の官職を有していた。その追贈については、『洪洞県誌』の官職選任の項に記されている。
鄭傑:洪洞の出身で、成化年間の戊子科に挙人となり、会試では二等に列した。その名は『洪洞県志』の「登第者目録」に記されている。
鄭良弼:明代の洪洞県の出身で、山東省の登州府において召募官を務めた。その名は『洪洞県志』の「科挙表」に見られ、科挙の正規の受験者として列せられている。
鄭良夫:同市の鄭氏の出身で、『洪洞風景』に記されるところによれば、元・明両朝にわたって進士であった。
鄭良相:明代の洪洞県出身で、『洪洞県志』の「科挙表」には「正貢生」の欄にその名が記されている。
鄭敏:元・明両朝の人士で、同市に出自を有する鄭氏の出身。進士にして、その伝記は『洪洞風物誌』に収められている。
鄭能:洪洞の出身で、永楽年間に生きた。浙江布政司の検校を務め、『洪洞県志』の「諸生名簿」にその名が見られ、毎年の省試の貢生であったと記されている。
鄭汝成:明時代の洪洞県出身で、『洪洞県志』の「選抜諸生目録」に、恩賜の秀才としてその名が記されている。
鄭汝正:明時代の洪洞県の出身で、その名は『洪洞県志』の「選挙表」に「力貢」の類別に属する者として記されている。
鄭紹:永楽年間の人物で、出身地は不明である。洪洞県の県令を務めたことは、「洪洞県志」の官職表に記されている。
鄭市場:洪洞県の出身で、金の宣宗の貞祐三年(1215年)に実施された科挙において状元となった。このことは『洪洞名賢録』に記されている。
鄭思公:同市の鄭氏の出身で、『洪洞風景』に記されているように、元・明両朝にわたって進士であった。
鄭天衢:明代の人物で、出身地は未詳である。『洪洞県志』には、選任官の項に記されている。
鄭廷祥:洪洞の出身で、嘉靖年間に生きた人物である。辛卯年に省試に及第し、その名は『洪洞県誌』の「登科録」に記されている。
鄭希:正徳年間の人物で、その出身地は不明である。趙城県の主簿を務めたことが、「趙城県志」の官職表に記されている。
鄭賢:この市の出身で、もともと市街地の鄭氏に生まれ、進士として科挙に及第した。その伝は『洪洞風俗志』に収められている。
鄭玄:河南省の山州の出身で、嘉靖年間に洪洞県の教諭を務めたと、「洪洞県誌」の官職表に記されている。
鄭玄:河南の広州の出身で、弘治年間に洪洞県の県令を務めたと『洪洞県志』の官職表に記されている。
鄭堯:市出身で、もともと市街地の鄭氏に生まれた人物であり、進士であった。その名は『洪洞風俗志』に記されている。
鄭仲:永楽年間の出身で、もともと趙城の人である。毎年の科挙によって任官され、その封爵については『趙城県志』に記されている。
鄭州君:洪洞の出身で、天啓年間に生きた。甲子年に挙人試に合格し、その名は『洪洞県志』の「科挙表」に記されている。
鄭傳:北宋時代の洪洞県の出身で、宣和年間に科挙に及第した。『洪洞人物誌』にその名が記されている。
鄭子雲は同市の鄭氏の出身で、朝廷の学者であった。その伝記は『洪洞風俗志』に収められている。

キーワード:

洪通の大イチョウ