フー(fú)姓
2020-08-20
家系は傅登氏族に遡り、その始祖は傅嘉である。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県などに起源を有する傅氏一族が、洪洞の「大槐樹」の地において、皇帝の勅命により一帯となって他地域へ移住させられた。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・北京・山西など各地に広がった。傅姓に関する最も古い記録は、唐代の著作『元和姓纂』に見られる。
【姓の由来】この姓には主に三つの源流がある。① 伏登氏の子孫に由来するものである。「呂氏春秋」によれば、夏代には伏登という高位の官人がおり、その子孫が伏姓を称したとされる。② 天皇による賜姓に由来するものである。「興勢集久篇」に記されるところでは、漢代に伏嘉という廷尉がおり、彼の伏姓は、漢室への助力に対する恩賞として高祖劉邦より賜られたものである。③ 少数民族における姓の改称に由来するものである。「魏書・官氏志」によれば、北魏の鮮卑族はかつて「乞伏」という複合姓を称していたが、中原へ移住した後、単字の伏姓に改めたとされる。
【氏族の起源】傅姓の主要な出自は京兆郡である。京兆郡は、漢代に皇都の後背地として設けられた行政区分であった。秦代には、首都圏(おおよそ現在の陝西省咸陽市周辺に相当する地域)を統治するための内史という官職が置かれていた。漢の武帝の太初元年(紀元前104年)、右内史は京兆尹へと改編され、十二県を管轄した。その管轄区域は、現在の陝西省西安市の東側から華県に至る一帯にほぼ相当するものであった。
【堂号】傅氏の堂号は「義漢堂」である。義漢堂――漢代、廷尉・傅家は、母が唐渓のほとりで龍に遇ったときに生まれた。漢の高祖がまだ漢王であったころ、彼は傅家と出会い、三秦を固めることを進言された。傅家の志が漢皇室の擁護と強化に尽くされているのを見届け、高祖は彼に傅の姓を賜った。
【家廟の対聯】傅氏の対聯には、次のようなものがある。「漢室に功をなして姓を賜う」(傅嘉)、「山を登り、障害を越えて夷族を助けん」(傅孟)。「翼と柱、赤い符印」(傅嘉)、「徳と道を称揚する系譜の記録」(傅紹明)。
【著名人物】『中国歴代人名大辞典』には傅姓の人物が七例記載されており、『中国人名大辞典』にも同様に七例が掲載されている。歴史上の傅姓の人物としては、漢代の魯の人・傅慶、北周の青州・洛州・随州の刺史を務めた傅孟、および明の天啓年間に右大理寺丞を歴任した光山の傅克堅などが挙げられる。
【人口】第四回全国人口センサスの結果によると、山西省には姓が「傅」の人が30人います。
【祭壇厨子】大槐樹の下にある祖霊殿の第9号祭壇厨子には、傅氏の先祖牌が祀られている。
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洪通の大イチョウ
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