ふるさと文化
彭姓
2019-07-19
始祖は彭丘である。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県などに起源を有する彭氏一族が、洪洞の槐樹のもとで皇帝の勅命により一斉に他地域へ移住させられた。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・北京・天津・山西など各地に広がった。彭姓に関する最も古い記録は、南宋時代に編纂された姓氏総覧『姓苑』に見られる。
【姓の由来】この姓には主に二つの源流がある。① ある種の草の名に由来する姓に端を発するものである。「幽陽雑俎」によれば、晋の時代、邱という人物がかつて山中に材木を切りに出かけたところ、ふと風に乗ってただよう異様な香りを感じた。その香りを辿ってみると、金箔で飾られ極めて華麗な建物にたどり着いた。中に入ると、豪華な絨毯の上に四人の美しい女性が座り、琴を弾く者もいれば将棋に興じる者もおり、その絨毯はススキの繊維で織られたものであった。彼がそれを見つめていると、四人の女性が突然彼に気づき、一斉に振り返った。羞恥にかられ、急いで家へと逃げ帰ったが、そこにはすでに家は廃墟と化していた。事情を尋ねてみると、数十年の歳月が過ぎ去っていたことが判明した。家族は散り散りになり、生計の手段もないなか、彼は女性たちの絨毯の文様がいかに見事であったかを思い出し、自らも同じものを織ってみたところ、これが大いに好評を博し、貴族階級の間で熱心に求められるようになった。やがて名声はますます高まり、「彭邱」と称されるに至った。その後、その子孫は「彭」を姓として受け継ぐようになった。② また、紀氏に由来するものもある。「万姓通譜」によれば、周の時代、王族の一系統が彭州に封ぜられ、その子孫が封地の名称にちなんで「彭」を姓としたと伝えられている。
【氏族の起源】彭姓の氏族起源は長楽郡である。長楽郡には二つの所在地が伝えられている。①北魏・隋の時代に設置された長楽郡は、現在の河北省冀県一帯に位置していた。②唐代に創設された長楽郡は、現在の福建省閩侯県に所在していた。
【堂号】彭氏の主要な堂号は「玉奇堂」である。玉奇堂――晋の時代、彭秋は山で薪を切りながら、ふと不思議な香りに気づいた。風に身をさらしてその香りをたどると、輝かしい宮殿が立ち並ぶ場所に至った。振り返っても、もうそれらの姿は見えなかった。家に帰ってみると、誰ひとり彼を認めず、彼自身もまた誰一人として知る者を認めなかった。そして、かつて自分が出て行った古い家は、とうに跡形もなく消えていた。後に、自分の名と山へ薪を切りに行った時の年月を告げたところ、人々が計算してみると、実に百年余りの歳月が経過していたのである。
【家廟対聯】彭氏の代表的な対句は次のとおりである。「周朝に根ざす;予期を凌ぐ邂逅」(彭秋)。「周の王統に枝を広げ、皇苑に憩う一家」(彭氏)。
【著名人物】『中国歴代人名大辞典』には彭姓について一項目が収められ、『中国人名大辞典』にも同様に一項目が掲載されている。彭姓を有する歴史上の人物としては、晋代の北海出身の彭秋が挙げられる。
【人口】第四回全国人口調査によると、山西省には彭姓の者が57人おり、そのうち臨汾市に3人が居住している。
【祭壇厨子】彭氏の先祖牌は、大槐樹の下にある宗祠の第7号祭壇厨子に祀られている。
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洪通の大イチョウ
