ふるさと文化
毛姓
2019-06-26
この家系は紀氏に由来し、始祖は毛叔である。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県などに起源を有する毛氏一族が、皇帝の勅命により一帯で他地へ移住させられ、その集合地点は洪洞の大槐樹とされた。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・北京・天津・山西など各地に広がった。毛姓に関する最も古い記録は、北宋時代の『広韻』に見られる。
【姓の由来】この姓は紀氏に由来する。『通志・氏族略』によれば、周の武王が殷を滅ぼした後、三男の叔を毛国の君主として封じた。毛国の旧領は、現在の山東省金郷県の境域にあたる。古くは毛公と称され、やがて鄒国によって滅ぼされた。これにより、毛公の子孫は旧国の名を取って「毛」を姓とした。
【氏族の起源】毛氏の主要な先祖代々の郡は、東海・陳留・金陵である。東海郡については、二つの異なる存在が認められる。①秦代にはもともと薛郡と称され、漢初に東海郡へ改編されたもので、現在の山東省郯城県周辺に位置する。②東魏および隋唐時代の東海郡は、現在の江蘇省東海県以東、淮河以北の地域に相当する。 。
【氏族会館の名称】毛姓の主要な氏族会館の名称は「開明堂」である。開明堂――宋代にあって、毛志竹は清廉で謙虚な人として知られ、高位の官職を求めることがなく、西山に隠棲して過ごした。その名望に惹かれた多くの人々が彼のもとへ集まり、学問を修めた。彼は孔子・孟子の教えを広め、人の心を啓発し高めることに努めた。あるとき、龐籍がその徳と学識を朝廷に奏上したところ、皇帝は彼を国子監の教授に任じた。しかし、度重なる官職への招請にもかかわらず、彼は毅然としてこれを辞した。
【堂聯】毛姓にまつわる代表的な堂聯には、次のようなものがある。「母を敬うために鶏を斬る」(毛栄)、「腰を折って民を安んじる」(毛坤)、「三毛の仙術」(毛穎)、「四代にわたる名門」(毛新清)、「華山で道を楽しむ」(毛孟)、「農耕により親を養う」(毛栄)などである。
【著名人物】『中国歴史人名大辞典』には「毛」姓の項目が30件収められ、『中国人名大辞典』にも29件が掲載されている。歴史上の「毛」姓の人物としては、春秋時代の邾国に毛義紅、秦代には諫官の毛驕、漢代には咸陽出身で道教家でもあった毛穎、宋代には著名な儒学者の毛知之や画家の毛如淵、明代には文人の毛坤、清代には学者の毛星来らが挙げられる。
【人口】第四回全国人口調査によると、山西省には毛姓の者が148人おり、そのうち臨汾市に19人が居住している。
【祭壇厨子】大槐樹の下にある宗祠の第7号祭壇厨子には、毛氏の先祖牌が祀られている。
キーワード:
洪通の大イチョウ
