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Ao姓

2019-06-06


先祖に当たる創始者は、太皐と大皐(荘胥)である。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県など各地に起源を有する澳氏の先祖らが、皇帝の勅命により洪洞の大槐樹の地へ集団で移住させられた。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・北京・山西などの各地に広く分布した。澳姓に関する最も古い記録は、東漢の『風俗通・姓氏篇』に見られる。【姓氏の由来】この姓の源流は主に二つある。① 太皐の系譜に由来するものである。『風俗通・姓氏篇』によれば、古代において、伝説上の帝王・荘胥の師は太皐と称され、その子孫の一部が澳の姓を称するようになったという。② 荘胥自身に由来するものでもある。『通志・氏族略』に記されるところでは、古代の部族長・荘胥は別名を大皐とも称し、その……

先祖に当たる創始者は、太顙と大顙(朱俠)である。明代には、平陽府の洪洞県および趙城県を本貫とする顙氏の先祖らが、王朝初期に皇帝の勅命により洪洞の大槐樹の下に集められ、各地へ移住させられた。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・北京・山西など広く分布するに至った。顙姓に関する最も古い記録は、東漢の『風俗通・姓氏篇』に見られる。

【姓の由来】この姓には主に二つの源流がある。① 太皡の子孫に由来するものである。「風俗通」の「姓氏篇」によれば、古代、伝説上の帝・顓頊の師は太皡と称され、その子孫のうち一部が姓を「皡」としたという。② また、顓頊の系譜に由来するものでもある。「通志・氏族略」に記されるところでは、古代の部族長・顓頊は別名を「大皐」と称し、その子孫は先祖の名である「皐」をもって姓としたとされている。

【氏族の起源】Ao姓の主要な出自は譙郡である。譙郡とは、東漢の建安年間に沛郡の一部を分割して設置されたもので、その治所は譙県に置かれ、現在の安徽省と河南省の境域に相当する地域にあたる。

【堂号】  Ao氏の本堂号は「越衢庵」である。 越衢庵:宋代、Ao Taosunは気骨に富み、高い志を抱く若者であった。腐敗した官僚・韓侂胄が権勢を振るい、儒学の大家・朱熹が左遷された際、当時太学に学んでいたTaosunは、朱先生を送る詩を一首作った。また、趙汝愚が流罪の身で没したときには、これに哀悼の意を表する詩をもう一首詠んだ。これに激怒した韓侂胄はTaosunを逮捕したが、Taosunは姓名と身分を改めて難を逃れた。その後、Taosunは科挙に及第し、温州の通判に任ぜられ、そこで『越衢庵集』を編纂した。

【堂額対聯】 Ao氏の主要な堂額対聯には、次のようなものがある。「仙薬の錬丹井」(Ao Xian)、「侠気天に翔る」(Ao Taosun)、「侠気天に翔る」(Ao Taosun)、「傑出した才で時代を築く」(Ao Ying)などである。

【著名人物】『中国歴代人名大辞典』には「敖」姓の記載が十例あり、『中国人名大辞典』には九例が収められている。歴史上の「敖」姓の人物としては、宋代に福清出身で進士にして学者でもあった敖陶孫がおり、また臨江出身の敖志顔もいた。元代には進士の敖季公が、明代には江西の教諭副使を務めた敖山、剛直で勤勉な官吏として名高い敖祥、さらに国子監祭酒の職に就いた敖賢らが見られる。

【人口】第四回全国人口調査によると、山西省には姓が「Ao」の人が405人おり、そのうち臨汾市には42人いる。

【祭壇櫃】大槐樹の下にある祖霊殿の第7号祭壇櫃には、敖氏の先祖牌が祀られている。

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洪通の大イチョウ