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ヨン姓
2019-05-23
この家系は、楊伯を始祖とする楊氏に由来する。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県などに起源をもつ楊氏が、洪洞の大きな槐樹の下で皇帝の勅命により一帯に他地域へ移住させられた一族の一員であった。清代末期には、その子孫は河南省・山東省・河北省・北京市・山西省など各地に広がった。姓「楊」に関する最も古い記録は、東漢の『風俗通・姓氏篇』に見られる。
【姓の由来】この姓には主に四つの源流がある。① 姓「雍」は、子氏に由来する。『古今姓氏書辯証』によれば、伝説では黄帝が子孫に十二の姓を賜ったとされ、そのうち「女雲」の子孫は夏代に禹によって雍国に封ぜられ、のち春秋時代には秦の郡となり、現在の陝西省鳳翔県の南方に位置した。殷末、周の武王が殷を滅ぼすと、雍国もまた滅亡したため、その子孫は旧国の名である「雍」を姓として受け継ぎ、女雲系の雍支派を形成した。② 雍姓は非常に古くから存在した。『通志・地理略』および『氏族記』に記されるところでは、黄帝の臣である雍父が杵と臼を発明したと伝えられ、これに因んで洛州陽翟県に「雍氏」と称する城があった。③ 官職に基づく姓から生じたものである。『周礼・秋官』の条に曰く、官職に由来して姓を称する者、すなわち「雍」姓の人物がいたという。④ 稷氏に由来する。周初、周の武王が諸侯に封地を分配した際、十三番目の弟である伯を雍国に封じ、彼は後に「雍公」と称された。その後、雍公の子孫は自らの封地の名である「雍」を姓として採用し、これにより稷系の雍姓が成立した。
【氏族の起源】雍姓の主な発祥地は、京兆郡および平原郡である。京兆郡については、漢代には皇都地域を管轄する行政区分であり、「三輔」の筆頭に位置していた。漢の武帝の太初元年(紀元前104年)、京兆尹の職が設置され、十二県を統括した。その管轄区域は、おおよそ現在の陝西省西安市から東へ華県に至る一帯に相当する。
【堂号】雍氏の主要な堂号は「石房堂」である。石房堂とは、西漢時代に雍池が石房侯に封ぜられたことに由来する。唐代には、雍無逸が奇兵を率いて盗賊を討ち、石房子爵の位を賜った。
【堂額対聯】雍姓にちなんだ主な対聯には、次のようなものがある。「船を返す忠臣」(雍泰)、「悪に激しく抗う忠臣」(雍俊)。「船を返す仙人宰相」(雍泰)、「玉を植えて結ばれる高潔な良縁」(雍博)。「詩の大家にして雅趣の鑑識家」(雍陶)、「清廉で勤勉さで称される名君」(雍卓)である。
【著名人物】『中国歴代人名大辞典』には「雍」姓の記載が23件、『中国人名大辞典』には15件収められている。この姓を名乗った歴史上の人物としては、春秋時代に鄭国の公子で季鍾の娘婿であった雍九、漢代には開国功臣の雍池、唐代には建州刺史を務めた詩人・雍陶、宋代には高官たる学者・雍 Jin、さらに明代には著名な囲碁棋士・雍希日と、南京で戸部尚書を務めた雍泰が挙げられる。
【人口】第四回全国人口調査によると、山西省には姓が「雍」の人が243人おり、そのうち臨汾市に8人が居住している。
【祭壇厨子】楊氏の先祖位牌は、大イチョウの下にある宗祠の第7号祭壇厨子に祀られている。
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洪通の大イチョウ
