ふるさと文化


姓のベン(bēn)

2019-03-11


その系譜は秦飛に遡り、本福を始祖とする。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県などに起源を有する本氏一族が、洪洞の大槐樹の下で皇帝の勅命により一帯に他地域へ移住させられた人々の一員であった。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・北京・山西など各地へ広がった。本姓に関する最も古い記録は、漢代の『風俗通・姓氏篇』に見られる。【姓氏の由来】主な説は二つある。① それは嬴姓に由来するものである。『元和姓纂』によれば、中国古代の著名な思想家・教育者である孔子の弟子に秦飛という者がおり、その孫が本福と称した。以後、本福の子孫たちはその名を姓として受け継ぎ、これにより本氏が成立した。② また、官職名に由来する姓でもある。「本」という字には、「肥える」「秘める」「逃げる」などの意味がある。

その系譜は秦飛にまで遡り、本福を始祖とする。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県などに起源を有する本氏一族が、皇帝の勅命により一帯で他地へ移住させられ、その集合地点は洪洞の大槐樹とされた。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・北京・山西などの各地に広がっていた。本姓についての最も古い記録は、漢代の著作『風俗通・姓氏篇』に見られる。

【姓の由来】この姓には主に二つの源流がある。① それは嬴氏に由来するものである。「元和姓纂」によれば、中国古代の偉大な思想家・教育者である孔子には秦非という弟子がおり、その孫が弁父であった。弁父の子孫は後にその名を姓として受け継ぎ、これにより弁姓が成立した。② もう一つは、官職名に由来する姓である。「弁」という字は「ベン」と読み、かつて「虎贲」(虎を守る兵)に仕えた者の子孫が、その官職名である「弁」を姓としたことに由来する。

【氏族の故郷】ベン姓の主要な氏族の故郷は、宣城郡である。宣城郡は、晋の太康2年(西暦281年)に、漢代の丹陽郡の旧領地を基として設置され、その治所は宛陵(現在の安徽省宣城市)に置かれた。その管轄区域は、おおよそ今日の安徽省の東南部に相当する。

【氏族館の名称】 本姓の主要な氏族館は「斉思館」である。 斉思館:西漢初期、本何は淮南王・英布の中大夫を務めていた。英布に不敬を働いたため、王に殺されかねないと恐れ、馬に乗り都へ赴いて英布が謀反を企てていると告発した。漢の高祖は本何を投獄し、同時に使者を派遣して英布の動向を調査させた。果たして英布は本何の一族を皆殺しにし、漢に対して叛乱を起こした。これを受け、高祖は本何を将軍に任じ、彼を派遣して英布討伐に当たらせた。英布が平定された後、高祖は本何を斉思侯に封じた。

【家廟の対聯】ベン氏の代表的な対聯には、次のものが含まれる。「元朝の功績」(ベン・ヘン)、「汝南の清廉な行い」(ベン・ハオ)、「生来の温和で調和のとれた心性」(ベン・シェン)、「品行の清廉さと純粋さ」(ベン・ハオ)である。

【著名な人物】『中国歴代人名大辞典』には、ベン姓の例が四件記されており、『中国人名大辞典』にも同様に四件が掲載されている。歴史上の人物として、春秋時代の魯国の弁朴、漢代には重臣の弁何、著名な学者の弁浩、天文学者の弁利、および淮南出身の弁勝がいる。また、元代には玄武将軍の弁衡、明代には弁龍が見られる。

【人口】第四回全国人口調査によると、山西省にはベン姓の人が60人おり、そのうち臨汾市に1人いる。

【祭壇櫃】ベン氏の先祖位牌は、大槐樹の下にある宗祠の第6号祭壇櫃に祀られている。

【移住】本氏の先祖は、山西省洪洞県の大槐樹から、明初に河南省濮陽県八公橋鎮の本寨村へと移り住んだ。

キーワード:

洪通の大イチョウ