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フェン姓
2019-02-26
この家系は、紀氏にその起源を遡り、始祖は馮侯である。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県などに発祥する馮氏一族が、洪洞の大槐樹の下で皇帝の勅命により一斉に他地域へ移住させられた。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・北京・天津・山西など各地に広がった。馮姓に関する最も古い記録は、唐代の著作『元和姓纂』に見られる。
【姓の由来】この姓は、周の文王の十七子に由来する。『通志・氏族略』によれば、周の初期において、文王の十七子は豊国に封ぜられ、豊侯の爵位を授けられた。かつての豊国の領地は、現在の陝西省鄠邑区の境域にあたる。その後、豊侯が放蕩で過度な行いを理由として成王により廃せられた際、その子孫は旧国の名をもって姓とし、すなわち「豊」を姓としたと伝えられている。
【氏族の起源】馮姓の主要な出自は京兆郡である。京兆郡は、漢の都・長安の管轄下に置かれた行政区分で、「三輔」の一つであった。その旧領は、現在の陝西省西安市と華県の間にまたがっていた。
【堂号】馮氏の主要な堂号は「三俊堂」である。三俊堂とは、「俊」とは優れた才能と卓越した腕前を表す。春秋時代、馮叔は魯国で政務を執り、晋の景公は彼に対して遠征を企てた。これに対し、晋の諸大臣は皆こう進言した。「馮叔には三つの傑出した才が備わっており、その麾下には多くの有能な英雄や秀才がいる。このような勢力は決して攻めることはできません。」馮叔は常に人材を尊重し、重んじていたため、徳高く功績ある者たちが次々と彼のもとに集まったのである。
【家廟の対聯】馮氏の代表的な対聯には、次のようなものがある。「進士として名を馳せる」(馮申)、「文昭の末裔」(馮勲)。「二人の名士」(馮淑)、「長寿の老夫婦」(馮寅初)。「後継者の変更と忠臣の諫言」(馮清)、「共に老いながら、和楽と繁栄の吉兆」(馮寅初)などがある。
【著名人物】『中国歴代人名辞典』には、馮姓の事例が三件記されている。この姓を有する歴史上の人物としては、春秋時代に斉の大夫・馮舒、宋代には道士で進士試験に合格した馮去奢・馮深、さらに明代には馮志新が挙げられる。
【人口】第四回全国人口調査によると、山西省には姓「馮」の人が61人おり、そのうち臨汾市に5人が居住している。
【祭壇櫃】大槐樹の下にある宗祠の第6号祭壇櫃には、馮氏の先祖位牌が祀られている。
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洪通の大イチョウ
