ふるさと文化
ミー(mì)姓
2019-02-20
その系譜は伏羲にまで遡る。明代には、洪洞の「大槐樹」から移住した人々の一員であった米氏の始祖が、平陽府・洪洞県・趙城県などの地域に由来する。明初には、朝廷の勅命により、これらの一族は洪洞の大槐樹の地に集められ、各地へと移り住んだ。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・北京・陝西・安徽・江蘇・湖北・湖南・山西など、広く各地に分布した。米姓に関する最も古い記録は、唐代の著作『元和姓纂』に見られる。
【姓の由来】この姓は、伏羲の子孫にその起源を遡る。伏羲は別名を傅説ともいい、「顔氏家訓」には、彼の弟子に米子建という者がおり、山府の県令を務めたと記されていることから、同氏は伏羲の系譜に属するものであるとされる。今日、永昌県東門には「子建碑」が建立されており、これには済南の米生が確かに子建の末裔であったことが刻まれている。
【氏族の起源】ミ姓の主な発祥地は、太原郡と平昌郡である。平昌郡については、南朝宋の時代(西暦5世紀頃)、頓丘郡が徐州の平昌郡へと改編され、その治所は頓丘に置かれた。これはおおよそ現在の河南省中部に相当する地域である。
【堂聯】ミ姓にまつわる代表的な対句は、次のとおりである。「丹府にて琴を弾く」(ミ・ズージェン)、「呉郡にて功を成す」(ミ・ティエンリン)。「黄帝の末裔」(ミ・シー)、「洛水の神妃」(ミ・フェイ)。「盧を琴の音で調和する」、「友を選ぶに徳高く尊い」(ミ・ブーチー)。
【著名人物】『中国歴代人名大辞典』には、米姓の例が二つ記されている。この姓を名乗った歴史上の人物としては、春秋時代に孔子の弟子であった米子貪、漢代に生きた米勝(別名・伏勝)、そして伝説によれば洛水の女神である米妃が挙げられる。明代には、米天林が蘇州府の監察として仕えた。
【人口】第四回全国人口調査によると、山西省にはミ姓の人が398人おり、そのうち臨汾市に85人が居住している。
【祭壇櫃】ミ氏の先祖位牌は、大イタヤカエデの下にある宗祠の第6号祭壇櫃に祀られている。
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洪通の大イチョウ
