ふるさと文化
トンという姓
2019-01-09
この姓はトン氏族に由来し、その始祖はトングーである。現代中国の姓のうち、第277位に位置する。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県などに起源をもつトン氏一族が、洪洞の大槐樹の下で実施された中央集権的な移住政策により、各地へと移り住んだ。清代末期には、その子孫は河南省・山東省・河北省・北京市・天津市・陝西省・甘粛省・安徽省・江蘇省・内モンゴル自治区・遼寧省・黒竜江省・山西省など、広範な地域に分布した。トン姓に関する最も古い記録は、北宋時代の『広韻』に見られる。
【姓の由来】この姓には主に三つの起源がある。① 歴史時代における女真族の氏族名に由来するものである。「満洲氏族譜」によれば、明の時代、初期の建州女真の首長・孟克帖木児の次男・通倉は、女真族の氏族称号を反映して自らも「通」という姓を称していた。② 「鍾」という姓が変化したものである。「路史」に記されるところでは、夏王朝末期、夏の桀王は放蕩と暴政にふけり、太史令・鍾鼓は国家の滅亡を深く憂慮して、敢然と宮中に駆け込み、皇帝に懇切に諫言した。これに怒った皇帝は彼を捕らえ、宮廷から追放した。夏の滅亡を予見した鍾鼓は周の文王のもとに逃れ、後に周の臣となった。周に仕えるにあたり、鍾の姓を改めて「通」とし、以後人々は彼を「鍾鼓」と呼ぶようになった。その子孫はやがて「通」を自らの姓として受け継いだ。③ 「佟家」という複合姓が変化したものでもある。「北燕録」によれば、清代、佟家の先祖の地である佟家に住む満洲族の一族は雲南地方に駐屯していた。彼らは漢人の風俗により一層融和するため、複合姓の「佟家」を簡略化し、漢人の単字姓である「通」へと改めた。
【氏族の故郷】佟氏の本貫は遼東郡である。遼東郡は戦国時代に燕国によって初めて設置され、その治所は襄平(現在の遼寧省遼陽市)に置かれた。その管轄区域は、おおよそ現在の遼寧省における大凌河以東の地域に相当する。東漢の安帝の治世には、遼東郡の領域がさらに分割されて遼東郡と遼西郡となり、遼東客県の軍事長官が任命され、その本営は昌黎(現在の遼寧省義県)に置かれた。
【堂の対句】佟氏の主要な対句は次のとおりである。「遼東の地に文名を馳せた」(佟昉)、「襄平にて書画を称された」(佟世錦)。「赤衣の砲手は威勢を張り、功績を挙げた」(佟養性)、「白腰の賊は命により城を降伏した」(佟国堯)。
【著名人物】『中国姓氏大辞典』には「童」姓の項目が23件収められ、『中国歴代人名大辞典』にも同様に23件の記載がある。歴史上の「童」姓の人物としては、北燕に文才で名高い童寛がおり、明代には進士で吏部郎中の職を務めた童珍が、清代には遼東の出身で先祖が満洲人であり、長く童家に住んだ童陽政がいる。その弟や従兄弟には童陽嘉、童陽興、童陽亮らがおり、息子には童図拉が、孫には童国剛、童国祺、童国正、童国印、童国威らが、さらに曾孫には童時思、童時徳らがいた。また、道光年間に安徽布政使を務めた遼東の出身の童景文も知られている。
【人口】第四回全国人口調査によると、山西省には銅姓の人が1,609人おり、そのうち臨汾市には54人いる。
【祭壇厨子】大槐樹の下にある宗祠の第6号祭壇厨子には、佟氏の先祖牌が祀られている。
【系譜資料】銅氏の主要な系譜資料には、次のものが含まれる。「銅氏系譜 第□□巻」(中国国家図書館所蔵、第1~2巻が保存)、「銅氏系譜 無分巻」(日本および米国所蔵)、「銅氏系譜 八巻」(吉林大学所蔵、第3~8巻が保存)ならびに「銅氏家譜 一巻」(遼寧省錦州市沙河営郷馬朝屯)がある。
【移住】宝坻県の佟氏の始祖は、洪洞の大槐樹に由来し、明永楽三年に山西省洪洞県の広済寺から宝坻県高家荘村へと移住した。一方、陽谷県の佟氏の始祖も、明代に山西省洪洞県より陽谷県石佛鎮佟荘村へと移り住んだ。
キーワード:
洪通の大イチョウ
