ロウ姓
2018-12-22
始祖は羅江である。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県などに起源を有する羅氏一族が、洪洞の「大槐樹」の下で皇帝の勅命により他地域へ集団移住させられた一派に数えられる。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・山西など各地に広がった。羅姓に関する最も古い記録は、南宋時代の『姓苑』に見られる。 【由来】この姓は羅氏に由来する。『漢書注』および『古今姓氏書辯証』によれば、漢代に羅江という人物がおり、もともとの姓は羅であった。漢代は五行説に基づき、火を尊び水を忌避したため、羅の字の水偏を除き、鳥偏に改めたことから、羅姓が成立したとされる。 【著名人】『中国歴代人名大辞典』には、羅姓の人物として四名が掲載されている。羅氏の歴史上の著名人の中には、西漢時代の人物も含まれる。
始祖はロウ族の将軍であった。明代には、ロウ氏の先祖は平陽府・洪洞県および趙城県に戸籍が編入された。明初には、朝廷の勅命により、洪洞の大槐樹の下に集められ、各地へ移住した。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・山西など広く分布するに至った。ロウ姓に関する最も古い記録は、南宋時代の『興元』に見られる。
【姓の由来】この姓は、羅姓に由来する。『漢書注』および『古今姓氏考』によれば、漢代には「羅将軍」と称される人物がおり、その本姓は羅であった。漢代は五行において火を尊び水を忌避したため、「羅」の字の水偏を除き、鳥偏に改めたことから、「羅」の姓が生まれたと伝えられている。
【著名人物】『中国歴代人名辞典』には、羅姓の例が四件記されている。この姓をもつ歴史上の人物としては、西漢の羅公、明の洪武年間に羅謙、さらに万暦年間には羅玉仁と、三原出身でかつて河南総督を務めた羅昂が挙げられる。
【人口】第四回全国人口センサスの結果によると、山西省には羅姓の人口が7,137人いる。
【祭壇厨子】大槐樹の下にある宗祠の第5号祭壇厨子には、羅氏一族の位牌が祀られている。
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洪通の大イチョウ
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