ふるさと文化
トゥの名字
2018-10-25
この姓は、周の王と蚩尤を始祖とする子氏に由来し、現代中国の姓のうち第238位に位置する。明代には、祖先が洪洞県・趙城県・平陽府に籍を置いた屠氏が、洪洞の大槐樹一帯から他地域へと大規模に移住させられた一族の一つであった。清代末期には、その子孫は河南省、山東省、河北省、北京市、天津市、陝西省、甘粛省、安徽省、江蘇省、湖北省、湖南省、遼寧省、黒竜江省、山西省など各地に広がった。屠姓に関する最も古い記録は、東漢の『風俗通・姓氏篇』に見られる。
【姓の由来】この姓には主に五つの源流がある。①子氏に由来する。『千仏論』によれば、殷代の古くからの諸氏族の中に、屠を姓とする一族があり、すなわち屠氏と称された。②職業を姓としたものである。『通志・氏族略』に記されるところでは、屠氏の職業は家畜の屠殺に従事するものであった。春秋時代、晋国には屠業を監督する官職「屠」を務めた人物がおり、その名は屠蒯と称された。その子孫はこの職業に由来して姓を取ったため、屠氏となった。③古代少数民族の姓に由来する。『北史』によれば、烏塗氐の間に屠姓があり、陶秦の時代には屠飛という人物がいた。④地名を姓としたものである。『世紀集』に記されるところでは、伝説によれば遠い太古、中原の東南部に蚩尤という部族があった。当時、黄帝の氏族は西北から中原を統治していたが、トーテム信仰や風俗習慣の違いから、蚩尤は黄帝の権威に服することを拒み、政権を奪おうとして反乱を起こした。両部族は河北の涿鹿の地で激突し、狩猟と漁撈を生業とする蚩尤は、勇猛さと鋭利な武器の製造技術に長けていたため、当初は優位に立っていた。しかし、賢明な黄帝は多くの中原諸部族の支持を得て圧倒的な兵力差を築き、さらに風后らの戦略家や李牧らの将軍の助力も得た。その用兵術は蚩尤を遥かに凌駕し、次第に戦局を逆転させた。やがて、玄鳥をトーテムとする東方の諸部族も黄帝側に加わり、ついに蚩尤は敗れた。黄帝は蚩尤の首領を処刑した後、その民を各地へ分散させた。なかでも最も不従順な者は荒涼たる西北の辺境へ追放され、比較的従順な者には鄒や屠といった地名の地に定住させた。そして、鄒や屠に移り住んだ人々は、その地名を姓として採用した。⑤封地の名称を姓としたものである。殷代、商の湯王の子孫の一部が屠に封ぜられ、その子孫は後に封地の名称「屠」を姓とした。
【氏族の起源】屠氏の主要な先祖の居地は、陳留郡と広平郡である。陳留郡については、秦の始皇帝二十六年(紀元前221年)に陳留県が置かれ、漢代には陳留郡へと改編され、現在の河南省開封市一帯に位置していた。 【堂号】屠氏の主な堂号には、思堂がある。思堂とは、明代に屠本が太常寺楽正を務め、のちに陳州知州となった人物にちなむものである。彼は好読家で、老いてなお書を手放すことがなかった。人々が「老翁よ、どうしてそこまで身を労されるのですか」と勧めるのに対し、彼は答えた。「書物というものは、腹が空けば私の食となり、喉が渇けば私の茶となり、眠気に襲われれば私の枕であり敷物となり、悩みに苛まれるときには私の音楽となる。これほど心安らぐものがあろうか。」
【家廟の対句】屠氏の代表的な対句には、次のようなものがある。「神韻を簡潔に論ずる――屠大山」「不屈の節操で名高い――屠孟紹」「言辞は高邁にして行いは清廉――屠喬」「学界にその声は重きをなす――屠龍」「詩文の大家――屠靖」「兄弟ともに御史として仕えた――屠逵」
【著名人物】『中国姓氏大辞典』には「屠」姓の項目が25件収められ、『中国歴代人名大辞典』には33件が掲載されている。歴史上の「屠」姓の人物としては、秦代に杜威・屠遂がおり、漢末には河東出身の屠景賢がいる。元代には余姚出身の学者・屠氏が、明代には鄞の文人・屠隆のほか、孝感出身で浙江総督を務めた屠儀や学者・屠文生も見られる。また清代には、作家・屠綽や史家・屠基が名を連ねている。
【人口】第四回全国人口センサスの結果によると、山西省には杜姓の人が457人おり、そのうち臨汾市には25人いる。
【祭壇櫃】祖先の位牌は、大イタヤノキの下にある祖廟の第5号祭壇櫃に祀られている。 【系譜資料】杜姓の主要な系譜資料には、次のものが含まれる:「江蘇・常州の蘭陵葛橋杜氏共同編纂支族系譜六巻」(江蘇・常州図書館)、「江蘇・無錦の杜氏堆積支族系譜二十巻・序一篇・跋一篇」(江蘇・常州図書館)、「江蘇・潁山杜氏系譜三巻」(科学档案)、「浙江・杭州の杜氏武林支族系譜不分巻」(天一閣)、「浙江・寧波の杜氏永尚支族系譜三十六巻・序二篇・跋二篇」(浙江省図書館・天一閣―第9~11巻は欠落)、「浙江・蘭谿の蘭江杜氏系譜五巻」(浙江省・蘭谿県派舎郷)。
【世代名】収集された記録によれば、浙江省鄞県に存する屠氏の現存する世代名系譜には、「志紀洪元、全李中衡」と記されている。
【移住】濮陽の屠氏の先祖の一支は、洪洞の大槐樹に由来し、明の洪武年間の初期に山西省洪洞から濮陽県徐鎮の土巴泉村へと移住した。
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洪通の大イチョウ
