ふるさと文化
姓 シー
2018-09-27
その始祖は、現代中国において第296位の姓である「席」である。明代に洪洞の大塔樹から移住した席氏の先祖は、平陽府・洪洞県および趙城県に由来する。明初には、皇帝の勅命により、洪洞の大塔樹の地から各地へと移転させられた。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・北京・陝西・甘粛・安徽・江蘇・湖北・山西など、広く各地に分布していた。なお、「席」という姓の最も古い記録は、東漢の『風俗通・姓氏篇』に見られる。
【姓氏の由来】この姓には主に二つの源流がある。① 国名に由来するもの。「風俗通」によれば、夏の時代に少俠という国があり、炎帝・神農の子孫の封地であった。同国は夏・商・周の三代にわたり存続し、春秋時代には楚国によって併呑された。その時の君主・少俠の息子である西伯の子孫が、国名の「俠」をもって姓とした。② 地名に由来するもの。「左伝・杜預注」によれば、春秋時代に少俠という地があり、別称を武関といい、陝西省の上県の東方百八十五里に位置していた。当地の住民の一部が、その地名「俠」をもって姓とした。 【郡望】西姓に関連する主要な郡としては、東陽郡と襄陽郡が挙げられる。東陽郡は三国時代の呉の宝鼎元年(西暦266年)に設置され、現在の浙江省金華一帯に相当する。
【氏族館名】 シー姓の主要な氏族館は「忠烈館」である。 忠烈館:蜀漢の将軍・シー・チェンは、零陵太守を務めていた。孫権が関羽を暗殺した後、チェンは零陵において呉軍に単身で抗戦した。孫権が使者を派遣して降伏を促すと、シー・チェンは毅然としてこう宣言した。「青い目をした異国人に告げよ。私は呉の臣となるより、むしろ漢の亡霊たるを望む!」やがて兵糧が尽き、援軍も来なかったため、彼は自ら剣を抜いて自刃し、祖国に殉じた。
【氏族対句】奚姓の代表的な対句には、次のようなものがある。「史家は春秋の名を誇る」(奚肇池)、「仙山は沼沢の美を保つ」(奚宇)。「斑柳の香りは荊襄の雅に優れ」(奚肇池)、「栄丘の映りは漢沔の麗に通ず」(奚宇)。「忠烈の遺風は芳しく」(奚震)、「仁徳は民を化す」(奚紹)である。
【著名人物】『中国姓氏辞典』には「奚」姓の項目が10件収められ、『中国歴史人名辞典』には13件収められている。奚姓の歴史上の人物としては、漢代に宰相であった奚鄕、襄陽の出身で文山太守を務めた奚成業、三国時代の呉において襄陽の出身で大臣であった奚温、晋代に襄陽の出身で『晋漢春秋』の著者であり、その子・奚披江が騎兵校尉を務めた奚肇池、明代に新余の出身で内閣中書舎人を務めた奚靖などが挙げられる。
【人口】第四回全国人口調査によると、山西省には奚姓の人が727人おり、そのうち臨汾市に44人、洪洞県に8人います。
【祖先廟】西姓の先祖の位牌は、大菩提樹祖廟の第5号櫃に祀られている。
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洪通の大イチョウ
