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姓 ミ
2018-07-06
その系譜は黄帝にまで遡り、始祖は米康公である。明代には、もともと洪洞県・平陽府・趙城県に籍を置いた米氏の先祖たちが、明初期の皇帝の勅命により、洪洞の槐樹坪から各地へ大規模に移住させられた。清代末期には、その子孫は河南省・山東省・河北省・陝西省・甘粛省・安徽省・江蘇省・湖北省・湖南省・遼寧省・山西省など、広く各地に分布した。米姓に関する最も古い記録は、北宋時代の著作『性解』に見られる。
【姓の由来】この姓には主に三つの源流がある。① 女紀氏に由来するものである。「通志・氏族略」によれば、殷代には密須という国があり、周の文王によって征服・滅亡した。その後、密須の王族の子孫は、かつての国の名を姓として採り、略して「密」と称した。② 密国の王族の血統に由来するものである。「古今姓氏書辨証」に記されるところでは、密国の王・密康が周の共王によって討たれた後、密国の王族の子孫は、旧国の名である「密」を姓としたとある。なお、密国の旧領は現在の甘粛省霊台県の境内に位置している。③ 黄帝の子孫に遡る系譜である。「姓氏訓源」によれば、黄帝の子孫の間に「密」という姓が存在するという。
【氏族の起源】ミ姓の主な出自は太原郡である。太原郡は、秦の荘襄王の初期に設置され、おおよそ現在の山西省太原市西南部に相当する地域にあたる。
【家廟の対聯】米氏の代表的な対聯には、「漢代の大司農(米仲)」と「宋代末期の総司令官(米友)」が含まれる。
【著名人物】『中国姓氏大辞典』には「米」姓について二つの項目が収められ、『中国歴代人名大辞典』には三つの項目が掲載されている。歴史上の「米」姓の人物としては、宋代には蘆州の出身で江西の総兵であった米友、明代には金竹安福衛の出身である米鼎、さらに西漢には大臣を務めた高官・米仲がいる。
【人口】第四回全国人口調査によると、山西省にはミ姓の人が422人おり、そのうち臨汾市に112人、洪洞県に1人いる。
【祭壇厨子】ミ氏の先祖位牌は、大イチョウの下にある宗祠の第4号祭壇厨子に祀られている。
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洪通の大イチョウ
