ふるさと文化
苟姓
2018-05-16
同族は紀氏の系譜に由来し、その始祖は苟宗靖である。明代には、平陽府・洪洞県・趙城県などに起源を有する苟氏一族が、洪洞の大槐樹の下で皇帝の勅命により一斉に他地域へ移住させられた。清代末期には、その子孫は河南・山東・河北・北京・陝西・甘粛・安徽・江蘇・山西など各地に広がった。苟姓に関する最も古い記録は、南宋時代に編纂された『興元』に見られる。
【姓の由来】この姓には主に二つの源流がある。① まず、紀氏に由来するものである。「通志・氏族略」によれば、東周時代、周の霊王の長子である紀晋王子は、王家の権勢が衰えつつあることを憂い、たびたび王に諫言を進言した。しかし霊王はその忠言を聞き入れず、さらに爵位を剥奪して庶民に落としたため、深い絶望に打ちひしがれ、わずか十七歳で没した。彼には宗敬という息子がおり、後に周の景王の下で司徒を務めた。その封地が勾にあったことから――その地は現在、河南省延県南東部の溝市郷に所在する――、その子孫は封地の名に因んで「勾」という姓を称するようになった。② もう一つは、少数民族の姓に由来するものである。「魏書・官氏志」に記されるところでは、北魏の時代、中原へ移住した北越侯一族の者たちが、自らの姓を「勾」に改めたと伝えられている。
【氏族の本貫】苟姓の主要な本貫は太原郡である。太原郡は秦の荘襄王四年(紀元前246年)に初めて設置され、その治所は晋陽(現在の山西省太原市南西部)に置かれ、今日の山西省において五台山以南・霍山以北の地域を管轄した。
【著名人物】『中国姓氏大辞典』には「苟」姓の項目が二つ収められ、『中国歴代人名大辞典』にも同様に二つ掲載されている。歴史上の「苟」姓の人物としては、漢代に苟禹、唐代には道教を修し衡山で修行した長沙出身の苟仙姑、さらに明代には南京の右通政を務めた苟謙が挙げられる。
【人口】第四回全国人口調査によると、山西省には苟姓の人口が1,785人おり、そのうち臨汾市には71人がいる。
【祭壇厨子】大槐樹の下にある宗祠の第3号祭壇厨子には、苟氏の先祖牌が祀られている。
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洪通の大イチョウ
